国際都市シンガポールで暮らすコンサルタントの異文化日記

アジアの玄関シンガポールに暮らして20年余。 海外就職→転職→日本(逆)駐在の波乱万丈を乗り越えてシンガポールに経営コンサルティング会社を設立。 異文化というAWAYでの戦いを日々楽しんでいる日本人女性経営者の異文化日記です。

就職体験記

レファレンスとは?〜個人情報保護の見地からその取扱いについての一考察〜

転職に限らず、まずほぼ無条件に相手を信頼するところから始まる日本人の感覚では考えにくいことですが、私が知る限り基本的に海外では「信頼に足る理由」が得られない段階では相手を疑うところから人間関係が始まります。

疑うというのが少々行き過ぎた表現であれば、「注意する」「警戒する」という程度でしょうか。

最近は転職が一般的になってきた日本でもそうでしょうが、海外または日本でも昔から中途採用が一般的であった外資系企業においては、採用までの過程に必ずレファレンス(Reference)と呼ばれる身元照会を行います。

これは、履歴書に書かれていた過去の在籍記録や退職理由に偽りがないか、人物的にはどのように評価されていたのか等を確認する、採用側にとっては重要な手続きです。

と同時に、見も知らずの社外の人間がかつての社員についてあれこれと問い合わせてくるのですから、そうした問い合わせを受ける側も慎重な対応をする必要があります。

先日、あるクライアントのオフィスで「レファレンスと個人情報の保護を両立させる方法」についてアドバイスを求められました。外資系企業勤めが長かった私にとっては正直、日本の大企業でこのようなプロシージャーが確立していないことは驚きでしたが、その後、折にふれ訊ねてみると、シンガポールにおいてはどちらの企業でもさほどしっかりと確立していないことがわかりました。

よくわからないからとりあえず上司に電話を渡す、などであればまだ良いのですが、上司や人事部の知らないところで、問われるままにその電話を受けた社員が個人としての見解を述べていたとしたら大問題です。

日本ではこれまで中途採用という形態が比較的少なかったこと、学歴、職歴などに虚偽の情報を載せるなどあり得ないという、当初から相手を信頼する文化があること。これらも日本人の良い面である「相手を信頼する」文化の一端であり、そうした中に長くいるとあまり意識せずともいられるのですが、多様な価値観が混在する海外ではひとつしっかりしたプロシージャーを作っておく必要があると実感した次第です。

ちなみに我々エグゼクティブサーチコンサルタントは、大学以上の学歴の卒業証明書は必ず現物を確認します。「卒業」か「中退」か、はたまた単に「聴講生」レベルの在籍か(ちなみに「聴講生」は学歴としてのカウントには入りません)。

社会に出て何年もたったキャリアのある人を前に、今更、大学で「学位を取ったかどうか」など私個人は大した意味を持たないと思っています。しかし、クライアントに代わって人物選考をする立場であることを自覚すれば、おのずとこうした確認作業に手を抜くことはできないわけです。この段階で学歴詐欺が見つかれば、それだけでも人物的な信頼を欠くことになります。当然、クライアントへの報告書にもその点が記載されてしまいます。

レファレンスについて一例をあげれば、私が過去に在籍していたシンガポールの会社では、以下の社内規約がありました。

1.電話を受けた者は相手の社名、所属部署、役職、名前、連絡先電話番号、問い合わせ目的を控えた後、「人事部よりお返事いたします」とだけ伝えて、電話を受けた社員は一切何も情報を渡さないこと。

2.人事部がその連絡先電話番号あてに電話し、相手がこうした問い合わせをするのに正当な立場にいる人間かどうかを判断した上で(虚偽の電話番号や不当な立場での問い合わせなどであれば、この段階でオミットされる)問い合わせ内容に対して答える。人事部としては、在籍期間、昇進の経緯、退職理由、退職日、自己都合退職か会社都合または懲戒免職であったのか、という点に対してのみ答える。

3.人物評価については、直属の上司から答える。

これ以外の対応をしてはならないという厳密な規定が設けられていました。
つまり、突然にかかってきた電話を受けた社員が具体的なコメントをすることは一切ありません。
また、これはシンガポール本社だけではなくグローバルな社内規定でした。

問い合わせ理由を具体的に聞き出し、基本的に転職の際のレファレンス以外の問い合わせは不当な問い合わせである可能性もあるとみなされ、通常以上に厳密な対応をしていました。勿論、警察や裁判所のような国家権力的立場からの問い合わせであれば別ですが、それであっても人事部→マネジメントという流れは変わらないものでした。

会社では様々な人間関係が発生します。優秀な社員ゆえに引き抜かれて転職した人物に妬みを持ったもと同僚がこのような電話に応対したらどういう結果になるでしょうか。最悪の場合、客観性に欠けた恣意的なコメントを発し、新たなキャリアに進もうとする元社員の行く手を不当に阻むことにもなりかねません。このようなことが後日発覚すれば、場合によっては辞めた社員から訴えられることもあり得るわけです。個人情報の不当な流出にもつながるのは言うまでもありません。

会社側のリスクマネジメントの見地からも、レファレンスに対してはしっかりと規定を設けておく必要があると思います。

と同時に、在籍しいつかは退職日を迎える社員各人も、後日こうしたレファレンスをされても困ることのないように在職中からプロフェッショナルな態度で日々を送ることが大切だと思います。

それさえ守れば、退職後も以前の会社の上司や同僚とも関係維持ができますし、様々なビジネスシーンでお互いに重要な人脈として存在し続けることができます。

コンプライアンスという概念は、こんなところにも見出すことができるのです。

ダンボール箱が来る前に

久々に東京の友人から電話がありました。

3年間勤めた某外資系企業をこのたび退職したとのこと。日系証券会社の営業マンからスタートした彼は、その後、私財を投げ打ってアメリカ南部のビジネススクールに私費留学。サマージョブ(夏休みのインターンシップ)中に一瞬ウォールストリートの証券会社から本社採用日本勤務というおいしすぎる条件で青田買いされかけたものの、のんびりした南部から一転して生き馬の目を射抜くウォールストリートでの生活はあまりにギャップがありすぎたようで、惜しげもなくあっさり辞退。

帰国後はこれまたあっさりとフツーの転職サイトで見つけた別の日系証券会社にフツーの待遇で職を得て約8年勤務。昔のウォールストリートアレルギーが消えかけた3年前に某外資系金融機関にヘッドハントされ、遅まきながらの外資デビューをした超マイペース人間。

昨年の出張時に久々に会った彼はブルックスブラザースのスーツにクレリックのシャツと外見はそれなりに“外資な人々(昔、そんなタイトルの本がありましたね)”していたけれど、飲むとなったら、「赤坂とか六本木とか言わないでよね〜。高いしさぁ〜(高給取りのくせにこのドケチ。転職の際にレジュメのドラフトをしてあげた恩を忘れたか?)。オレ、あのスノッブな雰囲気がダメなんだ〜、客に外人とかやたらと多いじゃん(アンタの職場には外人はおらんのか?)。やっぱり飲むなら新橋だよねぇ」と思いっきり庶民的な新橋の小料理屋に連れて行き「酒はやっぱり芋焼酎だよねぇ。あ、ねぇさん(なぜか彼は私をねぇさんと呼ぶ)梅干それともレモン?(酒飲みでない私には意味不明)ちなみにワインとかないから、この店」とくる愛すべきキャラの男性です。

外資に入ったときから、この無欲で他人を信じやすく日本の田舎の香りプンプンの純朴そのものの男があの世界で生きていけるのだろうかと陰ながら心配をしていたのですが、仕事はできる男だったようで特に問題なく順調に日々を送っていたようでした。

そんな彼が「ビジネススクール時代の友人が始めたコンサルティング会社に誘われている」とメールをよこしたのが半年前。例にもれずリーマンショックの影響か、彼の職場でも大量解雇の嵐が吹き出した頃でした。どう考えても辞めなくてもよい立場だった彼ですが、退職勧告を受けた同僚の愚痴につきあった酒の席で「オレも辞めようかと考えている」などと口走ってしまったせいか、次期の退職勧告者リストにはしっかりエントリーされていて、しかし結果的には会社都合による退職ということでちゃっかりそれなりの退職金もいただいて退職したという、運がいいのか悪いのかわからない人物です。

そんな彼、曰く。
「いやぁ、ねぇさん、オレにもダンボール箱来ちゃったよ。ほら、あの辞めていく人達が私物入れて持ち帰るためのダンボール箱。しかも、退職意思を表明した時点から、段階的に社内のイントラネット上の情報へのアクセスが制限されていくんだ。オレなんて顧客担当じゃないから辞めるとわかったら外部への挨拶も不要と思われたらしく、退職日までに許可なく顧客と接触するなとかいろんなこと書かれた書面にもサインさせられたよ。あんなもんなのかねぇ」

日系証券会社時代、転職するかどうかの相談まで上司にしていたという厚い信頼関係の中で育ってきた彼にとって、今回の退職劇はかなりシビアなものに映ったようでした。

「んなの当たり前でしょ。私が辞めた時なんて、その瞬間からメールのパスワード変えられたし、顧客との接触不可。その日のうちにダンボール箱来たわよ。翌日からは出社に及ばずというヤツでね。給料出るからまぁいいか、と腹くくったけど。懲戒免職でもないのにちょっとあれはねぇ。でも、会社の立場から見れば必要なことなのよね」

「へぇ、やっぱりそうなんだ。じゃあメールとかもチェックされるんかなぁ。飲み屋のおねえちゃんとの交信記録とか思いっきりヤバいメールもあるんだけど」

「時すでに遅し。全部チェックされてるよ。だいたいそんなメールに会社のアドレス使うアンタが悪いのよ」

「今度、行く会社との条件交渉や過去のヘッドハンターとのメールなんかも全部残ってるんだ」

「会社のメールアドレスなんて所詮は会社のプロパティ。ビジネス専用なんだからね。私用で使ってその内容を見るなというほうがおかしいんじゃない?」

「オレ的には飲み屋のおねえちゃんとのラブラブメールの方が心配だなぁ。後はどうでもいいんだけどさ。あのさ、うちのシステムのヤツと一緒に行った店でね、同じ女の子なんだよね、そいつが好きだったのは。ヤツ、システムにいるから見れるんかなぁ。それでね・・・」

「(絶句&無言)」。まあ通話料はコイツ持ちじゃ、延々と話したまえ、とパソコンを打ちながらふんふんと話を聞いてるフリ・・・

全ての外資系がそうだとは思いませんが、契約関係というドライな関係で結ばれているという大前提を忘れると、こうした事態に欧米企業は時として非情と映るようです。コンプライアンスがしっかりしている会社ほど、社員の退職に際しての情報漏れには厳しいルールを設けています。私も退職の際、ある日突然パスワードが変わっていたという経験をしています。システム部の同僚を軽く睨むと「Oh, Don’t look at me. I am only doing my job」と言われてはっとしました。

自己都合であれ会社都合であれ、退職すると表明した時点から会社と自分との間にはひとつの壁が生まれると覚悟したほうが良いでしょう。その時になってバタバタしないように、それなりの準備をしておくことも必要です。以前の職場の同僚は、ランチタイムに上司に退職届を出したら午後にはもう姿を消していました。仕事の引継ぎの重要性とその社員による情報持ち出しのリスクとを天秤にかけ、会社はどちらを優先するかというシビアな選択をします。例外なく後者の対応を取る会社も多く、日系企業のように1-2ヶ月も退職までに猶予をくれる会社は少ないといえます。その同僚の場合は明らかに後者の対応であり、デスクの整理もろくにできず大慌てで出て行きました。転職後の挨拶状を送りたい相手もいたと思いますが、全てはこれまた時すでに遅し、でした(もちろん、翌日から出社しなくてもノーティス期間相当分の給与は支払われます)。

これは果たして東京の友人が言うように「冷たい、非情な」ことなのでしょうか。
私自身はそうは思いません。会社としての無形のプロパティを守るために、シビアに捉えればそうあるべきなのです。仮にそうした対応がなされなくても、社員としては常にそこに基準を置いて行動することが大切だと思いますし、それがプロフェッショナルな態度なのではないかと思います。

転職のご相談の際に「会社のメールアドレスあてに送っていただいていいですよ。どうせ誰も見ませんから」と言う方がいますが、本来あるべきプロフェッショナルな態度としては、これはあまりお勧めできることではないと思います。その会社に在籍している間に得たIntelligence(“情報”という意味でのインテリジェンスです)は会社の無形資産。リスペクトして扱う必要があると言えるでしょう。

転職が日常的になった現代において、乱暴な表現ではありますが「いつ辞めても困らない身じまい」をしておくことは、ある意味ひとつの会社へのリスペクト、愛社精神の表れでもあると思うのです。仕事についてもマニュアル化できるものはマニュアルにしておく。名刺は整理しておく。業務以外の内容では会社のメールは使わない。関係のないメールは定期的に削除しておく。フォルダーは常に整理しておく。

一日の中で8時間以上を過ごす職場。感覚的にそこが自分の生活の場となるに従い、ついついプライベートな何かを持ち込みがちになりますが、会社のコンプライアンス部門に諭されるまでもなく自分でこうしたルールを作っておくことにより、適度な緊張感を持って仕事する新鮮さを維持できるのではないでしょうか。

先週末、また東京の知人からメールが来ました。

「ねぇさん、今度の会社は四ツ谷にあります。大学近くの土手の桜がきれいだったので写真を送ります。先日、新橋で美味い地鶏の店に行きました。焼酎の種類がハンパじゃないです。今度、また行きましょう!(だから私は酒飲みじゃないってば!)」

メールのアドレスはGmailでした。




私のキャリア半生記(リストラ編)

前回の“人生のリスクヘッジ”では、どうして私が東京オフィスへ出向したのか、というところまで書きました。そこまでを読めばまさしく順風満帆の会社員人生であったわけです。しかし運命とは気まぐれなもので、その先の展開はかなりドラマチックでした。

東京での仕事は厳しいものでした。競合他社を吸収合併した直後でそれぞれの会社の社員が混在する環境でした。私の役割は3つありました。

ひとつは重複する顧客との契約内容を合理的に整理し、それにしたがってオペレーションのフローを構築し直すこと。競合他社を吸収したのですから当然お客様も重複しています。まずはそれぞれの契約内容を整理し、お客様に対しては合併によってお客様側のメリットは増えこそすれデメリットは生じないことをしっかりご説明しました。実際のところは社内の混乱により(ちなみにこの合併は1か月前に突然の発表という形で知らされました。私が上司からそれを聞いたのは発表の前日でした)トラブルが発生しがちな状況だったのですが、合併の混乱を理由に他社に契約を乗り換えられないよう、内心は冷や汗をかきながらも冷静を装い続けました。お客様の会社のビルから出た後、「あ〜、あんなに大風呂敷広げちゃったけど本当に大丈夫なのかな・・・ま、大丈夫にさせるのが自分の仕事なんだから!」と気を取り直してオフィスに戻る。その繰り返しでした。

合併後は外部から新しく日本支社長を採用する予定でしたから、その時点では支社長の席は空席。GM代行という肩書で赴任したのが私ですから、自分が第一線に立って動かなければなりません。昼間はお客様を訪問して説明にあけくれ、夜は整理された契約内容にしたがって新たなオペレーションフローを構築するために現場のスタッフと協議を重ねました。

二つ目は社員のリストラ。合併後の会社としての契約内容が更改された時点で契約高やオペレーションコストも明確になってきます。損益分岐を見定めた上で何人のスタッフを解雇しなければならないかを試算します。シンガポール本社ではしっかりした業績査定システムがあったのですが、東京オフィスでは全く機能しておらず、上司との面談でなんとなく次年度の年俸が決まっていたようでした。そうした中で育ってきた社員が人事考査というシステムを正しく理解し、カルチャーの変化にソフトランディングできるよう心を配りました。一人一人時間を取って呼び出し、人事総務・経理部長同席のもとでレビューを行いました。目標設定がそもそも曖昧だったのですから、客観的な業績査定を行うことにはかなりの無理がありましたが、いくつかの客観的ファクターを除いては本人のプロ意識、今の会社の状況を自分なりにどのように捉えているか(そこである程度その人の状況判断力、戦略立案力がわかります)の点に絞って判断しました。同時に次年度の目標設定と今後のキャリアパスについての希望を聞きだすよう心がけました。

最終的に10名程度のスタッフに退職していただくことになりました。「私の後に着任する新しい日本支社長とともに戦える相手であるかどうか」も重要ですから、会社へのロイヤリティがあまりに欠けており、断片的な情報をもとに自分勝手な会社批判をする方はやはり辞めていただくより他ありませんでした。突然本社よりやってきて、こうした決断を下した私を個人的に恨む人も一時的には生まれました。リストラになった部下を持つマネジャーが夜中に抗議の電話をしてきて朝まで話し合ったこともあります。夜中12時過ぎにオフィスから自宅に戻るタクシーの中で思わず涙が出たこともありました。それでも、私が会社の置かれている状況を末端の社員にまできちんと伝え、会社の今後のビジョンをはっきりと描き、その上で一緒に頑張ってほしいというメッセージを発信すると、受け止めてくれたマネジャーの何人かが業務上も精神的にも支えてくれ、ありがたく感じました。記憶に残るのは50代の経理マネジャー。娘のような年齢のGMだったにも関わらず、立場を尊重してよく協力して下さいました。二人きりになると「川村さんも辛いね、でも正しいことをやっていることは私はわかってますよ」と言ってくれました。

三つ目はキャッシュフローの改善でした。合併先の会社はかなりワンマン社長で仕事に情熱はもっている方でしたが、その反面、冷静なビジネスとしての分析はかなり甘く、社長が懇意にしているお客様には損益分析もせずにサービスを提供していたり、売掛金の回収が長期間できていなかったりもしていました。お客様全社に対してのクレジットリスクをはっきりさせ、支払期限の厳守を徹底しました。同時にお支払いただけてない先には自ら出向き交渉しました。とにかく逃げない、汚れ役は自ら買って出向く。それが自分のモットーでした。

赴任直後の月半ばに経理のマネジャーが「川村さん、今月、これだけ足りません」と言ってきてショックだったのを覚えています。それまでは足りなくなれば本社から送ってもらってたそうで、そのやり方に慣れている社員に「プライドを持ってください!」と檄を飛ばしたことがあります。私は自分がGMをやる以上、今後、一度たりともそういうことがあってはならない、そうでなければ東京はいつまでも自立できないと告げました。「本社に対して注文をつけるなら、自分たちの身仕舞いはしっかりやってください。自分たちがとってきた契約は最後まで責任を持ってください。入金が確認できなければその仕事は完結していません。契約金額だけ上積みしてもキャッシュフローが回らなければ会社は潰れます」とことあるごとに言いました。でもその結果、社員全員が会社全体のお金の流れを意識する感覚を持つようになり、コストセンターである総務・経理・人事などの社員もコスト意識をもって仕事をするようになりました。営業ばかりが稼いでくるのではない、自分たちも無駄をなくし、外部業者と交渉するときにはできるだけ有利な条件を引き出すことにより会社に数字上の貢献もできるのだ、という理解が生まれたのでした。全員の協力に支えられキャッシュフローは大幅に改善し、私の東京勤務期間で本社に「お願いコール」をしたことは一度もありませんでした。

8月に赴任し5ヶ月目になったころ、東京の次期支社長が決まったとの連絡がありました。私はもともとシンガポールを離れるつもりはなく、半ば会社に頼まれてやってきたのですからこのニュースは朗報でした。引き継ぎマニュアルを作成し、果てはその方のデスク回りの備品にまで心を配って万全の体制でお迎えできるようにしました。シンガポール本社に出張した際に一度お会いし、東京でも何度か夕食をともにしながらこの半年間の状況を整理してお伝えしました。

人事発表があってから2週間後、私は突如、本社の上司に呼び戻されました。
「早く戻ってきて。私と一緒にグローバリゼーションプロジェクトをやりましょう」
私はその話に浮足立ちましたが、後で冷静になってみると何か不自然な様子がありました。

赴任した時もバタバタでしたから引き上げる時もバタバタであろうことは予想していましたが、月曜日に電話がきていきなり1週間後に戻って来いというのはあまりに不自然でした。新社長をお客様に紹介してから戻りたいと言うと、「それはまた来月に再度東京へ出張してやってくれればいいから」と。なぜ、そんなに急なのかと訊くと「東京からのお客様のベトナム視察に同行してほしい」。たしかにベトナムは担当市場でしたから様子はわかりますが、それは私以外でもできる人はいました。

とにかく訳がわからないだけに直接会って話を聞こうと思い、素直に帰国準備を進め1週間後に本社に戻りました。

シンガポールに戻った2日後にお客様を連れてベトナムのホーチミンシティに1泊2日の出張をしました。そして翌日、シンガポールのオフィスに出勤するとITのマネジャーが私のラップトップPCを預かりに来ました。時は1999年の年末。ミレニアム問題でIT関係者がかなり神経質になっていた時でしたから、何の疑いもなく渡しました。

その日の午後5時過ぎ。周囲のスタッフがそろそろ帰り始めた時、私は取締役の部屋に呼ばれました。広いその部屋には私の上司、人事のマネジャー他、何人かのキーパーソンが並んでいました。取締役は東京での私の仕事ぶりに最大限の賛辞を述べた後、ゆっくりとしかしはっきりとした言葉で言いました。

「東京へ転勤してほしい」そして、そのあとに続く言葉は衝撃的でした。
「現地採用として。君のポジションはもうシンガポールにはない」
数日前に呼び戻され、マンションを解約し引っ越し荷物を送ってしまってからの宣告。何が何だかわかりませんでした。シンガポールの現行給与をそのまま円換算し、今度は住宅手当も駐在手当もないということです。私の業績になにか不満な点があるのかと訊いても「君は素晴らしかった」の繰り返し。先ほど取り上げられたPCの中をチェックされても困るものなど一つもない。いったいなぜ・・・

取締役は目の前に一通のレターを出し、「その条件に合意してくれるのであればここにサインしてほしい。回答期限は今月の15日まで」。私は朦朧としながら「では、それに合意しなかった場合は?そもそもこういう展開になった理由は?」と訊くと、「合意しなかった場合は残念ながら退職してもらう。ただ、会社の組織変更によるものだから退職金は給与の3か月分を出す。東京での業績評価に応じた報酬も出すつもりだ」。

時は金曜日の午後5時過ぎ。私は翌週から2週間休暇を取って旅行する予定でいました。本社での仕事再開に備えて英気を養っておきたかったからです。東京では連続して11週間週末も含めて一日も休んでおらず、有給はいくらでも残っていました。その日はとりあえずそのレターを貰ってサインはせずに帰宅しましたが、悔しくてそしてそれ以上に何が何だかわからなくて、旅行先のペナンに向かう飛行機の中、泣きどおしだったことを覚えています。

ペナン滞在中に回答期限の15日が来ました。このまましがみついて東京に転勤しても先は見えている。ならば自分で幕を引こう。金曜日の夜、知人を通じて弁護士にも相談しましたが、日本で言うところの労働基準法はこの国では存在せず、ホワイトカラーの雇用を保護する法律はないことを知り、絶望的な思いになりました。

自分は会社にとって捨て駒だったのか?新GM着任前に体制を整えるため、リストラも含めて汚れ仕事を一身に請け負うだけの存在だったのか?東京のオペレーション機能強化も果たした今、シンガポールから東京にベースが移るというのはある意味道理のある話。では、なぜ実質給与ダウンになるような雇用条件を提示してきたのか。

そんな思いを巡らせ悔し涙が枯れるころ回答期限が来ました。朝、ホテルの部屋でサインをし、ビジネスセンターからFAXで送りました。36歳と9か月、独身、女性。晴れて(?)異国で失業者となりました。

リストラに至った原因は入社後間もなくして退職された東京の新GMによる一方的な意見だったそうで、退職後半年ほどして事情がわかりました。私が入社したときは世界中で600名程度の社員数だったのに、この時期に買収を繰り返して急激に拡大したのです。そんな時期にはいろいろなことが起こるわけです。

その後、当時の人事マネジャーより戻ってこれないかという打診もいただきましたが、後ろ髪を引かれながらも人生に後戻りはないと言い聞かせました。好きな会社だっただけに尻尾を振りたいのはやまやまでしたが、やはりもう少々突っ張っていないと自分が保てない状態だったのかもしれません。

ただこの1件を通じて、欧米系の会社の優先順序はやはり「まず組織ありき」なんだなと思いましたね。一概には言えませんが日本企業のほうがその点、人間味のある対応をしているように思えます。どちらがいいとは言えないし、やはりこれはその人と社風との相性なんじゃないかと思いました。

退職して3か月後、この東京赴任以前に声をかけて下さっていたヘッドハンティング会社に入社し、晴れて今があるわけですから、長い目で見ればこの時点でリストラになって良かったのですが、私はこの経験を通じて会社との向き合い方、自分の人生の舵取りの仕方を学んだような気がします。


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究極的なコミュニケーション力とは

コミュニケーション。

「コミュニケーション力が高い」というのはどういうことを意味するのでしょうか。求人企業が求めるソフトスキルの中にこれを入れることが多いです。また、求職者の方のレジュメを見てもコミュニケーション力があるということをアピールされる方が多いようです。

私はそうした求職者の方にいつも質問します。
「貴方にとってコミュニケーション力が高いとはどういうことですか?そもそもコミュニケーション力って何だと思いますか?」

多くの方がここで口ごもります。
「えーっと、英語はある程度できますし・・・じゃあコミュニケーション力=語学力なんですか、と訊いてきそうだな・・・、ええ・・・異文化の中で・・・もにょもにょもにょ・・・ううっ、川村サン、聴き取れないって顔してるぞ」
私はニコニコしながら求職者の方が喋り終えるまで延々とお待ちします。意地悪ですね。でも、正しい答などないから、その方が自分なりにコミュニケーションをどう捉えていらっしゃるかが知りたいだけなのです。

確かに難しい質問です。
語学もちょっとできるし、シンガポールという異文化の中でやってきたし、コミュニケーション力と書いても認定書を出せといわれるものでもないし、ソフトスキルのひとつにアピールしておこうか。
まぁ、こんなところではないでしょうか。

私自身の中にも明確な答は長いことありませんでした。
かつて就職活動の際にこの質問を受けたときは、確か「WinWin(双方利益)を目指す会話能力」と答えてその場をしのいだ記憶があります。

先日、ある研修ビデオを見ていて「そうか!」と思ったことがありました。
これは営業マンを育てる目的のビデオでしたが、上っ面のノウハウではなく、物事の捉え方、視点の定め方、意思伝達の仕方を観ている側が自ら答を探し出せるように促す素晴らしい内容でした。

その講師の方が同じ質問を受講生にしていました。
「コミュニケーションとは何ですか?」と。
多くの人は、“コミュニケーション=話す”と理解しているそうです。
そうなるとコミュニケーション力がある=弁が立つ、ということになってしまいます。口下手の人や外国語での話になるとかなり不利ですよね。

その方にとってコミュニケーションの定義とは、「自分が望んでいることを相手が自発的に行うように促すこと」なのだそうです。

なるほど!と思いました。

話術も強制も必要ない。ただ、手法はどうであれ、最終的に自分が望んでいることを相手が自発的に行った時、コミュニケーションが成立するのだ、ということなのです。それが自分から相手へメッセージが伝わり、相手がそれを受け止め自ら立ち上がって行動を取る、それが真の意思伝達であると。

単純な例をあげれば、勉強嫌いでテストは20点しか取れない子供に対して、
「勉強しないといけないよ」というのは正しいことです。しかし、子供は強制されて勉強するにとどまることでしょう。高校生にもなればその言葉も無視されておしまいです。

しかし、
「勉強しないのに20点も取ったの。じゃあ勉強なんかしちゃったら一体何点まで上がることやら〜(早くも嬉し泣き)」であれば、子供は「ボクってまんざらでもない、もしかして?」という心理になるわけです。

この講師の方は仰っていました。
正しいことを言うことだけがコミュニケーションではない」と。

「勉強しなければいけないよ」これは正しいこと。しかし、子供はその言葉で勉強を始めるでしょうか?そもそもそんな子供なら20点など取ってこないでしょうね。「20点も取ったの〜?(嬉し泣き)」は正しいことではありません。しかし、結果的にその言葉で子供が勉強するようになれば、それは正しかったのです。

最終的に自分の望んでいることを相手が自らの意思を持って行うように促すこと、それができればコミュニケーションは成立したということなのです。ましては、言いたいことを伝えるがコミュニケーションではないことは明らかですね。

最近読んだ「賢者の知恵」という本にもありました。
「過程も大切だが結果はもっと大切であると」
ちなみにこの本の著者はスペインのカトリックの神父さんですが、全く神学的な内容ではなく、生きるに必要な知識ではなく知恵をとことん伝えています。カトリックの坊さんが書いたとは思えないほど、俗世間を真に賢く生き抜くための知恵がつまっているのです。ニーチェやショーペンハウエルなども絶賛したという人生の哲学書、ヨーロッパではユダヤ系の人々を中心に長く愛読されてきたそうです。

過程も大切だが結果が伴わなくては話にならない。結果が伴わない過程はやはりどこか間違っていたと認めざるを得ない、ということでしょう。子供の頃から言われてきた「結果ばかり追い求めてはダメだよ。人間はそこに至るまでの過程が大事なんだ」という言葉に惑わされがちですが、社会人、プロフェッショナルとしてこれを結果が出なかったことの言い訳に使っているようでは、そもそもダメだということでしょう。

そうなるとコミュニケーションも同じ。

一般的に正しいとされていること、自分が相手に伝えたいことばかりを伝えても、自分の望んだ反応を相手が示さなければやはりそのコミュニケーションは成立していないのです。

安易に使っている「コミュニケーション」という言葉。
日本人は国際社会においても交渉下手だと言われますが、それはコミュニケーションをスキルとして学んでいないところに原因があるようです。そしてもうひとつは「何が自分の望みなのか」という優先順位が本人の中でも曖昧なことが多いからでしょう。

転職のご相談を受けていて、私は常に「貴方にとっての優先順位は何か?何を求めて転職するのか?」という目的意識の掘り下げを行います。日本人でこうした点をしっかり固めている人は比較的少数です(片やシンガポーリアンや欧米人の求職者は最初からこの点がはっきりしている人がほとんどです)。

終わりよければ全て良し、というのは少々乱暴な表現ですが、やはり自分の望んだ結果に至らなければそれは目的を遂げたことにはならないのですね。であれば、相手とのコミュニケーションひとつを取っても、目的遂行のための意思伝達、と捉えることが大切なのでしょう。

ただ、それをエゴを持って行うと決裂します。
相手が自発的に行うように促すこと、が大切なのです。

私は「売れる営業ノウハウ」のような本はあまり読みません。
多くが「私の場合はこうして成功しました」という「手法」の紹介だからです。
状況は各々異なっても、その底に一貫して流れるフィロソフィーのようなものこそが勉強になります。知識ではなく知恵ですね。

バルタザール・グラシアン著「賢者の知恵」
貴方の愛読書にも是非どうぞ・・・(和訳も出ています)


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「女性社長.NET」取材記事 Vol.1 & Vol.2




「人脈」の話

こういう仕事をしていると「人脈広いでしょ?」とよく言われます。
たしかに在星ビジネスマンの方々とお話ししている際に、共通の知人が多くてお互いビックリなどということはよくあります。

シンガポール在住歴も12年を越しましたし、その間には数年間東京に赴任したり、また起業準備期間の1年間はいろいろなことに首を突っ込みましたから、様々な業界の方とお知り合いになる機会に恵まれました。
名刺ボックスはぎっしり詰まって4個。
日本、シンガポール、その他と地域で分けています。

しかし、その人脈が全てビジネスで使えるかと言えばそうではないのですね。

人材サーチの仕事をしていると「知人友人に声を掛けて候補者として紹介するんでしょ?」などというとんでもない誤解をされることがあります。それでクライアントが求める人材が提供できれば苦労はありません。むしろ親しい間柄の方の転職には関与したくないというのが私の本音。これは「病院の医者は自分の家族を担当しない」のと同じ理由です。どうしても知人寄りの立場で仕事をしてしまいますし、この仕事に必要な客観的に求職者を見る観察眼が曇るからです。

話がそれましたが、そもそも、ビジネスに使える人脈とは何か?

それは仕事の中で対価を求めずに「この人のためにひと肌脱いでやろう」と立ち上がって具体的なサポートを提供してくれる間柄の人だと思います。それには責任も伴いますから、いい加減な気持ちではできないですし、時間と労力を犠牲にしても応援する価値があると思っていただけなければあり得ないことです。

自分の夢や理想に共感してくれ、「コイツなら応援してもがっかりさせられることはないだろう」という信頼を持っていただけなければできません。

そういう関係を築ける相手だけが自分にとって真の人脈、人的資産だと思っています。

対価を求められなくても感謝の気持ちは忘れず、そして機会があれば自分もまた相手の仕事の中でお返しができるように努めています。勿論、本当にお世話になった方には「ありがとうございます」と菓子折り持って出かけたりもしますが、私は「仕事のお礼は仕事で」と考えるようにしています。

多くの人脈を持っていると自負する方も、それが自分の勤務先の人脈なのか自分個人の人脈なのかを知っておく必要があるかもしれません。実際、退職して無冠となってからかつての取引先に出かけたら何とも冷たくあしらわれたというお話も聞きます。これはその人脈が自分個人ではなく○○会社の△△さん、にあったということなのでしょうね。となると、少なくとも名刺の数イコール人脈ではないということですね。

真の人脈を構築するには○○会社の△△さんという存在を離れても「人として付き合いたい」と思わせる何かがなくてはならないのだと思います。それは単純に人間としての魅力だったり、その人の持っているビジネスの知識だったり、またはうんとプライベートに共通の趣味だったりするのでしょう。

そうした関係を維持するには「自分が相手を知っていて得をすること」よりも「相手にとって自分を知っていることで得になるかどうか?」を考えなくてはならないと思います。また、それぞれの方のお仕事やご家族、趣味などを常に頭に入れておき、「これは○○さんが欲しい情報だろう」と思ったら躊躇せずコンタクトする。そうして常にアンテナを張っておくことで自分の欲しい情報も手に入るのだと思います。

私の大学の先輩でもあり、シンガポールで経営コンサルタントをされているAさんという方がいますが、この方こそ人脈の作り方、活かし方が上手な方。彼の記憶力の素晴らしさや細かい心遣いは本当に勉強になりますし、何よりもマメな方なのです。「川村さん、この間話していた○○の件、こういう情報があるんだけど・・・こういう人がいるんで紹介したいんだけど」と実に気さくにお電話を下さるのです。勿論、そのひとつひとつが具体的なビジネスに繋がることばかりではありませんが、私の仕事を応援してくださるお気持ちがひしひしと感じられます。 Aさんが私の力を必要とする時が来るのかどうかはわかりませんが、そうなったら全力で応援させていただきたいと思えるのです。

最近、東京の提携先のエグゼクティブサーチ会社と話していた折、「海外勤務経験者が日本国内で就職する際に切り札となるものは?」という質問をしたら、「ビジネスレベルの英語力、現地事情の知識情報そして人脈」という答が返ってきました。

それは勤務先が変わっても変わらず情報網として使え、ビジネスに役立つ人脈ということです。仕事の中で出会う多くの人々。そうして出会った方々をどれだけ自分個人の人脈にまでつなげることができるか。

ただ、「その人を知っている」だけでは「人脈」とは呼べない。
冷たいようだけどこれがビジネスの世界の現実です。

人と関わる仕事をする中で、流されずに一人一人ときちんと向き合って仕事していく。そうした地道な仕事の中で本当の人脈というのはできてくるのかな、と。

人と関わる仕事をする私の「人脈学」。
エラそうなことを書いても自分こそがそこに至っていないことを日々反省する毎日です(笑)。


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わっ!サイトが消えた!

8月下旬に更新したきり、忙しいことを理由にすっかり当社・プライムサーチインターナショナルのホームページ更新を怠っておりましたワタクシです。

さて、今日はシンガポールの日本語メディア・アジアエックスさんのホームページ「エージェント紹介」に登場させていただきましたので、久しぶりに自社のサイトもこれをネタに更新しようかと思いきや・・・

元々こういうことが器用にやれる性質ではなく、これまでも何度も「よし完了!アップロード〜っとお、あれ画面変わってない・・・(唖然&沈黙→数回のトライの後、撃沈→サーバー管理会社に泣きつきの電話)」をやってきた私ですが、それでも練習(?)のかいあってここ数ヶ月は東京の管理会社に泣きつきコールをすることもなく平穏に来ていたのです。

が、2ヶ月も更新さぼっていたので手順もすでにうろ覚え。
見慣れないメッセージが出てきたのに、よく読みもせず、まぁとりあえずとYESやらOKやらを選択し、Let's see・・・などと悠長に構えていたのが運のつき。

日本じゃそろそろ終業の時間になりつつある夕方、
「シ、シンガポールの川村ですっ!あのっ、あのっ、うちのサイトが消えました!」
とウェブ制作&サーバー管理をお願いしている東京のランドサークルさんへ久々の泣きつきコール。

本当に消えちゃったのですよ。
そのサイトは存在しません、と非情なメッセージを前に茫然自失。

今日はアクセス多いかな〜と思っていた矢先のハプニング。

いやいや、しかしさすがはプロ。
落ち着いて対応してくださいました。
で、ものの数分後にちゃんとUPされているではありませんか。
ただし、最後にランドサークルさんに更新のお手伝いをお願いした2月から今日に至るまでの更新分は完全に飛んでしまったようです。まぁ、その間は自分で更新していたのでちょうどその分が消えたというか・・・

教訓「見慣れないメッセージが出てきたときに不意に、試しにYESを選択することはやめましょう」。何にでも好奇心旺盛(?)なワタクシが招いた今日の悲劇。

さて、ということで、ASIA Xさんのホームページでの紹介記事はこちらよりどうぞ。

エージェント紹介・プライムサーチインターナショナル

ありがとうございましたということで、ちょっと宣伝。
株式会社ランドサークル
当社のホームページはここでお願いいたしました。



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当社は採用の前工程である「どういう人材が必要か?」という段階からクライアント様と共に考え、明確なスペック設定をお手伝いさせていただいております。また求職者の方にも「転職をすべきかどうか?」という疑問にもニュートラルな立場でお答えし、「お仕事紹介」の域を超えたアドバイスをさせていただいております。
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プライムサーチインターナショナル

私のキャリア半生記(転勤編)

1999年7月。
私の在籍していた会社は欧米の大手同業他社を買収し、念願のグローバルカンパニーになりました。社名からもASIAが消え、記者会見とレセプションがインターコンチネンタルで華々しく開かれ、数か月前にシニアマネジャーに昇格した私はマネジメントの一角としてその席に座りました。

つい先日まで会社で会ってもお行儀よく挨拶するだけの相手のBIG BOSSが並ぶ中、私なんて場違いだなぁと思いつつもおろしたてのスーツでわくわくドキドキ・・・眼だけはキラキラさせていたように思います。

しかし常に買収の裏には早急な合理化が必要になります。同じポストに2人は要らないので各拠点で買収した会社された会社いずれの社員がそのポストにとどまるか、本人の能力や経験とともにグループ全体の構図を見ながらの人事調整をしなくてはならないのです。

ここが外資のドライなところで、必ずしも買収した側の社員が有利になるとは限らない。もちろんそれが大半の例ではありますが、そもそも優秀なリソースを持つ会社だから買収をしたわけで、ならば優秀な人材には活躍の場を残し自社の社員を他へ回すのも戦略のうちでした。私が業務上深くかかわる東京オフィスもその対象にありました。

8月のある日、突然上司に呼ばれた私は東京の組織再構築のミッションを負うことになりました。

社長室にには上司であるジェネラルマネジャー他、数人の役員が顔を揃え、これを機会に東京オフィスの人事考査、2社が抱えているそれぞれの顧客との契約内容の総点検と合理化、各契約に基づきオペレーション業務の合理化と再構築を行うというミッションの内容を説明いただきました。

「東京へ転勤してもらいたいがシンガポール本社には戻ってきて欲しい。ただ、東京の次期ジェネラルマネジャーが決まるまでの1年間、長期出張という形で東京に行って欲しい」

この辞令はまたまた私をワクワクさせました。組織を動かす最初のマネジメント経験になるからです。それがどれだけ大変なことかも知らずに・・・無知な自分ならではの大胆さを持って即座にYESと答えました。社長は一瞬あっけに取られた顔をしましたが。

「で、赴任の時期は?」
「来週にでも」
「はぁ〜?」というのはこの日、既に木曜日だったからです。
来週って4日後じゃない・・・今度はこっちが唖然とする番。
すると手配よろしく人事のGMが赴任に関する諸規定をまとめた書類を広げました。

「毎月1回は本社の会議で出張になること(もちろん移動は週末を犠牲にする・・・)。だからシンガポールの部屋は借りたままでいいわね。二重の家賃は申し訳ないから東京での住まいは用意するわ。シンガポールの給与は今まで通り。赴任手当という名目で東京での生活費補助を円建てで出します(これが驚くほど少ない・・・)。引っ越し荷物?30キロまでチェックインできるんだから赴任時に持って行って。引っ越し業者を頼む必要はないわ(おいおい、日本のマンションは家具もカーテンもないんだぞ)。引っ越し先は着いてから探してね(当たり前だ。週末入れても4日しかない)。一応、不動産エージェントの連絡先は今日渡します(でも電話番号だけだった)。来週いっぱいはホテル暮らしでいいけど、次週にはマンションに入居してね(ハイ、最大限努力させていただきます)。」

再び唖然・・・合併後バタバタしている東京のスタッフに身の回りの世話まで頼めないことはわかっていました。シンガポールの住まいも毎月3週間以上留守にするには家賃が高すぎる。とりあえずあと3日で荷物まとめて一旦赴任して来月の出張時にシンガポールの部屋を解約してどこか1部屋借りてそこに荷物を移し・・・東京の不動産屋へは今日にでも希望条件を送って事前に見繕ってもらおう・・・それから、それから・・・

視線が宙に浮いた私の前には上司のGMがにっこり。
「じゃあ来週からの仕事の打ち合わせするね。私のオフィスに来て」
オフィスに入るなり買収先の持っていた契約書のコピーが数冊のファイルに。
「これ、行く前に一応目を通してわからない点は私に確認して。東京に着いたら最初の1週間は営業担当者とお客様を回って今回の合併についてしっかり説明してね。あ、もうアポは取り始めてるって言ってたっけ」

私「あのぉ、家探す時間とかありますか?」
上司「うん、半日ぐらいでまとめてやって(そ、そんな無茶な。下見せずに決めるのか?)」
私「あ、でも家具とか電化製品とか買わないとならないですから」
上司「まあ何とかなるよ。たった1年のことだし(いやそういう問題じゃないんですけど)」

まあ実際、赴任の時期に一番苦労したのは日本の事情に全く疎い本社が家賃負担をしたために、いちいち本社人事にかけあわなければならなかったことでした。

「なぜ礼金などという不可解なものがあるの?アナタ、騙されてるんじゃない?」「なぜ敷金が2か月分もいるの?」
「仲介手数料は借手負担?あり得ないわ!」
に始まって
「どうして支払が現金でなきゃならないの?札束持って移動中に盗まれたらどうするの?」
という気が狂いそうなナンセンスなやりとりを数日にわたりしなければならなかったことです。

改めて家具・電化製品つきがスタンダードであるシンガポールのコンドミニアムがうらやましくなりました。

家具がない、カーテンもない、というマンションが日本は大半であることを彼女はついに理解できなかったようです(あるにはありますが、広尾・家賃120万円とかです・・・そうメールしたら完全に無視されました)。

でも、人間やろうと思えばなんとかなるものです。
私は翌週の水曜日の早朝便で東京に向かったのですから。
複数のやるべきことが雪崩れ込んだ時、即座に優先順位をつけ反射的に体が動く。
その点はちょっとうまくなったのかもしれません。
ただ、ここでも7時間のフライト中はひたすら爆睡でした。

私にとって3年ぶりの日本での仕事でした。



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私のキャリア半生記(キャリア編)

さて、実に半年ぶりになってしまいました再び“人生のリスクヘッジ”シリーズです(別にそんなに大それた内容にするつもりはないのですが・・・)。今回から2回に分けて、なぜ私がPR(永住権)を取得するに至ったかについて書きたいと思います。

最初に入社した会社でのキャリアはいたって順調でした。マーケティングのAssistant Managerとして入社しましたが、半年間の予定だった試用期間は実際には3か月に短縮され、その時点でお給料は500ドル上がりました。会社の成長期にあったこと、直属の上司が1年後に退職したことなどが重なり、入社した翌年末にはManagerに昇格。その段階でまた1000ドル上がりました。その後、3年目にSenior Managerに昇格、数ヶ月後に東京支社のGMが退職したこともあり、GM代行として東京に半年余り駐在。4年弱の在籍期間に給与は入社時のほぼ倍にまでなりました。Senior Managerとなってからは管理職だけの特別ボーナスなどもいただいていましたので、経済的にはかなり楽になり、2年目からはルームシェアを卒業してイーストコーストのコンドミニアムで一人暮らしを始めました。

ただ、仕事は常識では考えられないほどタフでした。昇給してもそれを使って楽しむ暇がない。大袈裟ではなくそういう生活が続きました。当時はまだ土曜日出社という会社がシンガポールにもたくさんあり、私の会社はようやく週休2日になった頃でしたが、私は土曜日はもちろん日曜日の大半も自由意思で出社して仕事をこなしました。やればやるほど上司から仕事が回ってきます。幸い、「押し付けられている」という感覚はなく、やればそれだけ評価につながる実感があったのが嬉しかったことを覚えています。ですから誰のためでもなく自分のために進んで仕事は引き受けました。それに同じように週末出勤している社員はやはりキャリア志向の人たちが多かったようで、社内の情報交換のネットワーク構築にも役立ちました。

職位が上がるたびに自分のやっている仕事が会社全体の戦略にどのように作用しているかが見えてきます。それがモチベーションの原動力だったと思います。それだけに「部下に仕事を任せるときは、それが全体にどのように影響するかをわからせる」ことが重要だと思いました。これは当時の上司の人の使い方(語弊のある表現ですが)が巧かったということです。表面的な言葉でほめてもらうことよりも、私にはこのやり方のほうが効果がありました。その結果として昇進や昇給など、目に見える評価が常にあったことも重要でした。

シンガポールに本社のある会社でしたが、私の居た期間はちょうど世界中の同業他社を買収して規模拡張を図っていた時期で、どんなに働いてもまだ人が足りない、結果的に出張などに制約がなく動ける社員にはどんどん仕事が降ってくる状況でした。

私は当時、中国から日本を含みオーストラリアまでのマーケットを担当していたのですが、それに北米とヨーロッパが加わりました。今でも思い出すのは、早朝、シドニー出張からシンガポールに戻り、一旦自宅でシャワーを浴びてすぐ出社。夜の7時過ぎまでオフィスで仕事をし、また一旦自宅でシャワーを浴びて夜11時半のエールフランスに飛び乗ってパリに出張したことです。現地時刻の早朝6時にパリに着き、そのままオフィスが回した車に乗って9時にパリ支社に出社。10時半には現地のお客様とのミーティングに出ていました。「いったい何時間起きているんだろう」「最後にベッドで眠ったのは・・・そうだシドニーだ、シンガポールじゃない!」。さすがにエールフランスの機内では爆睡状態で、ついに離陸の瞬間も覚えていませんでした。着陸時の衝撃で目が覚め、空港内の化粧室で顔を洗いメークをして、空港ロビーで待っていたドライバーに元気よく「ボンジュール!」とやっていたのですから、つくづく若かったのだと思います。

急な出張に備えるために常に自宅にはスーツケースが口を開けていました。ひとつの出張の荷物の片付けが済まぬうちに次の出張が入る。そんな日々でした。

「社費で旅行ができていいね」そんなことを影で言う同僚もいたのですが、にっこり笑って気にしないことにしました。実際、出張が入るとその前後に仕事がしわ寄せになります。それを回避するために、私は週末出勤し、出張の移動には週末を使いました。そのような移動時間は手当なしでしたが“時間で給料をもらっている意識は持つな”と考え、仕事の生産性を第一に考えました。結果的に報告書やアドミ関係の書類はフライト待ちの時間や機内で作成することがほとんどでした。

日本の友達がシンガポールに来た時、「貴女が一番詳しい場所に連れてって」と言われ、冗談ではなく「空港・・・チャンギのターミナル2」という言葉が浮かびあがって苦笑した思い出があります。

「このまま出世街道まっしぐら〜」
日本のマーケットでの主要な顧客をすべて担当し、それがなくては数字上ではこの会社のジャパンビジネスが成り立たない。自分がいるからこそ、ジャパンビジネスが存続しているのだ。愚かにも浅はかにも心のどこかでそんな思いが募っていた毎日でした。周囲を見回しても毎年昇進した人はおらず、若かった私はそんな自分が後年その会社を去らなくてはならないことなど予想すらできない状態でした。

そして私は東京オフィスのAssistant GMとして意気揚々と1999年8月、東京に向かったのです。そこで私は究極にドライな会社というものの存在、そして真のリーダーとはどうあるべきかについて己の未熟さを知らされることになったのです。

シンガポールでの就職だけではなく、日本へ帰国しての転職も完全無料でサポートします。ご相談はプライムサーチインターナショナルまでご連絡ください




地頭と品性

遅ればせながら日本でベストセラーとなった「女性の品格(著・坂東眞理子)」を読みました。

品格とか品性という言葉はお高くとまった印象を与えがちな言葉ですが、実は日常生活の端々に表わされるものなんですね。この本も自分をどう見せるかという安易なハウツー本ではなく、自分の人生を真に豊かに送る方法、生きることへの矜持について深く考えさせられる内容でした。

一方で冷静になってみれば「人として当たり前」なことが書かれているこうした本が爆発的に売れた背景には、品格の欠けた日本人が増え、そうした状況に流されつつもどこかで「これではいけない」と危機感を持っている人が多く存在することを物語っているのではないでしょうか。

先日、ある企業のマネージングディレクターの方とお話していて、ふと訊かれた質問がありました。
「人を採用する上で普遍的に重要な基準とは何ですかね」と。
そのご質問に対して私は「知性と品性」とお答えしました。

「知性」これは学歴とは無縁のIntelligenceのことだと思います。

確かに高学歴の方とくに有名大学の卒業者は10代という若年期に「一定期間である水準の学力を蓄える」ことを試され入試を突破しているので、効率的に学習する能力(というかノウハウ)を持っている人が多いのは否定できません。でも、与えられた環境の中で手探りで問題解決を図っていくことが出来るかどうかは、必ずしも学歴に由来していないと思います。

一言で言えば「地頭の良い人」。

持てる常識を駆使し、論理的に物事を整理し問題解決を行うことができる。また失敗を予知するだけの想像力を持ち、それを未然に防ぐことができる。結果的に失敗しても原因の分析ができ、それを次に活かせる人。つまり「自分で自分自身を伸ばせる人」。

もちろん常識があることは重要です。以前の上司が言っていたのは「経験がない人間の唯一の武器は常識だ」という言葉を思い出します。仕事が他人や社会との接点を持って行われる以上、「常識」というのは共通のランゲージだと思います。「常識が通用しない人間」を相手にすることは、英語しかわからない相手にギリシャ語で話すようなものだと思います。経験がないからこそ(ないものは仕方ないですからね)自分の持てる常識の範囲で判断して問題解決をしていく必要があるのでしょう。

同時にそれ以上に必要なのは「品性」なのではないでしょうか。

いろいろな英訳がありますが、あえて選べばEleganceということでしょうか。Graceという単語も的を射ていると思います。これは身なりを必要以上に整えたり、取ってつけたような立ち居振る舞いすることではありません。相手の立場を理解できるだけの想像力を持ち、利己的になったり相手に迎合したりするのではなく、Self-confidenceを持って自然にそして対等に関係構築してゆくセンスだと思います。

これが試されるのは「相手に対し言いにくいことを言う時」ではないでしょうか。相手が喜ぶとわかっていることを伝えるのは簡単です。でも、仕事をしていると相手に取って耳障りなこと、伝えたら落胆されることも言わなければならない時があります。それをどれだけ相手が聞き入れてくれるように伝えることができるか?それを伝えた後、相手との距離をむしろより近いものにすることができるか。これは自分の品性を試される契機だと思います。

応募者の方にありがちなのは仕事を紹介してもらうまでは低姿勢なのに、面接などで期待した結果が出なくなったとたん何の連絡もなくなること。また、オファーは出たけれど入社を辞退したい場合、再三連絡を取っても知らんふり、ということがたまにあります。

反面、「このたびは自分の実力不足(あるいは他に理由があった場合はそれをストレートに伝えれば良いでしょう)でせっかくのチャンスを活かせなくて申し訳ない。これを経験として今後もチャレンジを続けたい」など胸の内を明かし、求人企業へは時間を取ってくれたことの御礼、紹介会社へもその労をねぎらうようなメッセージを送ってくる方もいます。

また、辞退するにしてもその理由をはっきりと述べ(論理的に説明がつかなくても「どうしても気が進まない」というのもそれはそれでひとつの理由です)、うやむやにしているうちに相手も忘れてくれるだろうという甘えた姿勢を取らないプロフェッショナルな姿勢の方もいます。実際、丁寧なお礼のメールを受け取った求人企業の採用責任者から連絡があり、「彼の人間としての品性を高く評価する。今回のポジションは不適任だったが、まもなく●●のポジションでの採用を考えるから彼をその候補にしたい」というお返事をいただいたこともあります。結果的にその方はそのポジションでの採用が始まる前に瞬く間に他の企業数社からオファーを受け、そのうちの1社で今も活躍されています。シンガポールに出張に来られるたびに今でもご丁寧に声を掛けて下さる方です。

東京勤務時代、フォーチュン100に連なる企業がクライアントの大半でした。こうした大企業のアジアパシフィック統括などのシニアポジションにいる方々とクライアント、候補者の両側面でお付き合いがありました。多忙を極めながらも、そういう方々の多くがこうした品性ある対応ができていました。きっと部下の方にもそうした対応をしているのだろうなと感じたものです。人を使う、いや「動かす」ことの真髄が分かっているのでしょう。

その昔に観た「ワーキング・ガール」という映画の中でシガニー・ウィーバー演じるキャリアウーマンが “Oh, I never burn a bridge”と言っていたセリフを思い出します。「橋は焼かない」と。どこでまた顔を合わせ世話になるかもしれないから。都合が悪くなってくると逃げ隠れする子供に対して、これがビジネスシーンでのあるべき大人の態度ではないかと思います。

アメリカ第35代大統領ジョン・F・ケネディ著のProfiles in Courageという本の中の言葉。

“Grace under pressure”

日々の仕事に忙殺される中、その言葉の意味を忘れずに過ごしたいと思います。
以上、自戒の念をこめて・・・


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私のキャリア半生記(給与編)

ここ数週間、殺人的に忙しくブログの更新が遅くなりました。
「読んでますよ〜」から「いつになったら更新するつもりなんだぁ!」まで、叱咤激励のメールをお送り下さった方々、ありがとうございます。

さて、前回の文末に「日本の給料と比較してかなり下がりましたが、あまり気になりませんでした。そんな比較自体がナンセンスであることを知っていたからです」と書いたのですが、それは事実でした。

仕事のやりがい云々を語ればそれぞれの個人の価値観に左右されると思いますので、今回は現実的かつ具体的に「日本の給与VSシンガポールの給与」の比較でお話を続けたいと思います。

日本の給与システムと当地のシステムで大きく異なるのは、シンガポールでは所得税以外に引かれるものがない、ということです(永住権保持者は異なります)。私は2003年からの数年間をシンガポール企業の日本駐在員として東京で勤務したのですが、その際に給与から引かれる項目の多いことに改めてため息をつきました。

所得税、住民税、厚生年金、社会保険料...余談ですが住民税は最初の年は課されない代わりに退職後の1年間にも請求されましたので、無収入となってからもかなりの金額を支払いました。厚生年金などどう考えても支払った額に見合う支給がなされるとは思えないのですが、これまたかなりの金額が毎月天引きされます。所得税に至っては独身、扶養家族なしですから、一切の控除がなく「これでもか!」という金額が毎月引かれていました。

片やシンガポールでは、まず住民税が存在しません。個人所得税のみです。これは1月から12月までを1年間として、その年の所得を個人個人で確定申告します。累進課税制ですから年収により若干の違いがあるものの、1か月分の給与額を所得税の支払いに充てておけばまず大丈夫だろうと思われます。大半の会社がAWSという名の固定ボーナスを支給しており、これが1か月分の給与と同額で年末に支払われますので、この金額をそのまま税金の支払いに取っておけば不足することはまずありません。 確定申告は通常、翌年の4月15日までにそれぞれが行い、その申告に応じて「これだけ税金払ってね」と税務署(IRAS)から請求書が来るのです。それが来たら各自支払いをすれば良いのです。

ですから、毎月の給与が3500ドルであれば、満額がそのまま銀行口座に振り込まれます。

医療費については会社間で若干の違いがあるものの、多くは会社指定のクリニックがあり、そこで日常的な疾病(風邪や腹痛など)を治療する場合は無料または2-3割の負担で済みます。入院については会社が団体保険に加入していることが多いので、よほどの大病でなければこの団体入院保険でカバーされます。少なくとも私が勤務した会社は全てそうでした。

よく日本の国民年金は任意で続けた方がよいのか、と尋ねられますが、私個人としては日本出国時に「カラ期間扱い」に変えてもらいました。カラ期間は未納期間ではないので、本来であれば25年間は加入していなければ支払われない国民年金ですが、カラ期間はその25年間の一部として取り扱われます。但し、カラ期間中は実際に支払ってはいないので当然支給額はその分減ります。ただ、年齢にもよるでしょうが、今の時代、本当に払っただけの支給がされるのか、あるいはシンガポールで利回りの金融商品にでも投資したほうがよいのか、は意見が分かれるところです。ちなみに私は完全に後者の方でした。

私の当時の1か月分の予算をお知らせすると、
1) 家賃(女性2人とプライベートアパートメントをシェア。専用シャワーのある個室を借りる)$800
2) 食費(大半は外食。普段はローカルフード、週末などは友人と食べ歩き)$500
3) エステその他、美容関係 $200
4) 携帯(会社支給でしたので無料)
5) 通信費(日本への電話など)$50
6) 交通費その他 $200
以上。つまり住んで食べていくだけで$1750でした。
給与のちょうど半額で基本的な生活は成り立ちました。
特にお金のかかる趣味などがなかったせいか、私の場合これで充分でしたね。
でも3ヶ月に一度、ど〜んとブランド物買ったりはしました。それもバッグや財布など比較的長く使えるものです。時計などはボーナスや昇進して昇給した時などに記念として買いました。

ですから毎月$1000貯金にまわしてもまだ余りました。
まとまって投資するほどの金額はありませんので、まずは手堅くFixed Deposit (FD)、つまり定期預金を利用しました。1ヶ月、3ヶ月、6ヶ月の利回りを比べても元本がその程度ですからたいした差はつきません。ですから私は毎月1ヶ月もの定期預金に1000ドルづつ預け入れたのです。1ヵ月後の満期が来ても放っておけばそのまま自動的に更新されていきます。それにこうしておけば、いざまとまってお金が必要になっても毎月満期が来るので1000ドルまでならさほど待たなくても解約できます(中途解約も可能ですが、利回りが落ちます)。こうして1年間に12000ドルプラス業績連動ボーナスのきっちり半分を貯めました。

この「毎月1000ドル定期」はかなり長いこと続けました。
ある程度の金額がまとまったら一本化して更に利回りの良い期間に預け換えました。
起業する際にいくつかは解約し、その後、投信などにも振り分けましたが、まだ運用され続けている定期もあります。新しいライフスタイルに入る最初の段階で、お金の管理をする習慣をつけてしまうと後が楽であることを知りました。いくら以上の買い物であればクレジットカードを使う、というルールも作りました。こうしておくと手元にレシートが残りますから、今月はまとまった買い物がいくらあったのかが常に把握できます。

日本にいた頃より給与額の額面だけで比較すればたしかに下がりましたが、日本の一人暮らしのOLが1年間で100万円以上を数年にわたり貯金していくのは難しいのではないでしょうか。

給与を考える時、額面金額の差より実際の生活コストを割り出してそこからいくらぐらい貯めていけるか、を考えてみるほうが現実的です。勿論、いつかは日本に帰ると決めている人は、ある程度の金額がまとまった段階で米ドル、オーストラリアドルなどに分散投資して為替リスクを少なくしておくべきでしょう。ただ、シンガポールドルはかつてのアジア通貨危機をも乗り越え堅調に推移していますから、この先、急落するとは思えません。安定通貨だけに利回りもそれほど高くなくなってきているので(日本よりは高いですが)、最近は他通貨に振り分けて預けたりしています。

額面給与の比較という表面的な事象にとらわれず、「実質的にはどうか」という実態を捉えれば、シンガポールで支給されている給与額はそれほど悪くないのではないでしょうか。全てはやり方次第だと思うのです。


(次回に続きます)

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私のキャリア半生記(手段編)

不遜な言い方をすれば、私は「生まれる国は選べないけど死ぬ国は選べる」と思っています。

日本人として生まれたことを誇りに思い、日本は今でも大好きな場所ではありますが、前回のブログで書いた通り「このまま日本にいて幸せに暮らせるんだろうか?」という疑問は現実問題として日々大きくなっていったのです。

そんな時にシンガポール人と結婚した高校時代の友人と会い、シンガポールに何度か遊びに来るようになりました。その前にも銀行勤務時代、上司のお供でシンガポールのMAS(金融庁)に表敬訪問に来たこともあり、シンガポールについては「アジアでありながらビジネスは欧米的(?)」というわりと良い印象を持っていたのです。

新卒から外資系企業に勤めていた自分にとって、コテコテのアジア的ビジネス文化はなじまないものがありましたが、かといって米国留学時代、人種差別をそれなりに経験したこともあって欧米へ一足飛びに就職する勇気はなかったのです。シンガポールには、中途半端に(?)欧米のドライさがあるようなアジアのコスモポリタン都市という漠然とした、しかし良いイメージを持っていたのです。

今でこそ当時ほどには物価は安くなくなりましたが、12年前は本当に何でも安く感じました。

収入−支出=利益の原則はいずこも同じ。ここでなら家が買えるかもしれない。単純に言えばそう考えたのです。海外といっても飛行機で7時間も飛べば帰れるし、インターネットなるものが近い将来、各国間をボーダーレスにしていくとの話も聞いていました(そしてそれはほんの数年後に実現されました)。

思いついたら行動あるのみ、の私は早速、まずは命題「シンガポールで暮らせるのか?」について調べ始めたのでした。期待ばかりが先行し、まだそのインターネットなるものもそれほど普及していなかった1996年初頭のことです。情報を集めるのにとにかく苦労しました。そのあたりは昨年8月12日付ブログ「10年前の海外就職」、9月2日付「シンガポール就職記・その1」、12月16日付「シンガポール就職記・その2」に詳しく書きましたのでご覧になってください。

自分を人材として「売る」ためには、そして数年働いて帰国ではなく場合によってはそれこそ「家を買うまで」シンガポールに残るかもしれない...ならば就職先はどう選べば良いのだろうか? そんなことをあれこれ考えました。今から思うと極めて単純で浅はかな考えではありましたが、自分なりのJustificationをもって考え出したのが次ぎの結論でした。

1. 日本人であることが人材価値のプレミアムになること
2. 国籍にかかわらず昇進の機会があること
3. 日系企業の場合、本社派遣、現地採用との間で任せられる業務にあまり差がないこと


勿論、これに自分のこれまでの経歴が活かされる就職先であることは言うまでもありません。

私は一貫して企画営業の世界にいましたので物販の経験はありませんでした。ですからモノが流通していく流れはまったく理解できるセンスがなく、しかし、お客様のニーズを汲み取って提案してセールスに結び付けていくことは、多少業界が異なっても出来るだろうとの自負がありました。

日系、現地資本、欧米系と面接の機会をいただき、日系2社と現地資本系1社から内定が出ました。

現地資本系と言っても本社がシンガポールにあるということだけで、社長はフランス人でしたし、社内には当時17カ国からのスタッフが働いていましたのでかなり欧米的な社風でもありました。日本人マーケットを担当するマーケティングスタッフが欲しいとのこと。当時、かなりの比率で日本人マーケットのビジネスを手掛けていた会社でした。

ここでなら、日本人であるだけで希少価値を生む。国籍に関わらず昇進できる。
上記、2点は早くもクリアでした。

もっとも、後日わかったのは(骨身にしみたのは)、日本人であることを重宝がられるのは最初のうちだけで後は徹底した実力主義であったこと。昇進の機会が平等であるということは、英語のハンディなどおかまいなしに業績査定も手加減なくされるシビアな環境であること、でしたが。

当時、33歳。マーケティングエグゼクティブ(こちらではマーケティング担当、ぐらいの意味)での募集でしたが、面接最後にやる気と多少のはったり(?)でアシスタント・マーケティング・マネジャーとして採用されました。初任給、3500ドル。残業手当なし。当時のレートで換算すると22万5千円ぐらいでしょうか。どれだけ働いても3500ドル、というわけです。

日本では、その直前に旅行会社で企画営業をやっていました。旅行会社というのは業界的にそれほど給与レベルは高くないのですが、それでも単純比較すればかなり減りました。旅行会社の前は外資系証券会社でしたから、その水準と比較すれば雲泥の差です。

しかし、あまり気になりませんでした。
そんな比較自体がナンセンスであることを知っていたからです。

(次回に続きます)

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私のキャリア半生記(動機編)

先日、ある資産運用セミナーに出席しました。
経済ジャーナリストの浅井隆さんという方による講演会でした。
資産運用といえるほどの資産はあるのか?と自問しつつも、こういう機会にはできるだけ出るようにしています。潤沢な資産など無いからこそ最初から効率的に貯める方法を学びたいからです。

初心者向けということでしたので実践的な運用ノウハウよりも、今の世界経済そして日本、シンガポール経済を歴史とデータで捉え危機意識を持たせるのを主眼としていらしたようで、その意味では良いきっかけを与えていただいたと思います。

シンガポールは今、不動産市場の異常な高騰に例を見るように経済が過熱しています。サブプライムローンの問題に端を発したアメリカ経済の先行き不透明感は話としてはあるものの、シンガポールにいる限りそれを実感を持って捉えるのはまだ先のようにも感じられます。

しかし、経済は景気サイクルの長短はあれど歴史的に長い目で見れば均衡を保つように出来ており、それであれば今の景気がこのまま長続きするのはあり得ない現象と言えるわけです。

歴史的に見ても100年前つまり20世紀への移行期にはパリ万博の好景気から第一次世界大戦、その後、大恐慌の時代が訪れ第二次世界大戦へと続いています。こうした時期に国家間のパワーシフトが起こるそうで、100年前はそれが英国から米国へ、現代に置き換えれば相手は中国になるとのこと。

また、今世紀、産業の原動力となっていた原油は今や統計上枯渇する時期が読めるまでになり、代替エネルギーの開発が急ピッチで行われています。同時に異常気候現象に影響される穀物相場の急変など、経済の前提条件が様々に変化する時代に入ってきています。先の読めない時代であると言うことでしょうか。

日本の国家負債は1千兆円を超え、雇用や社会保障制度の枠組みが崩壊し、頼ってきたものが頼れなくなってきているにも関わらず、まだ日本人は根拠のない自信と安心感の上に安住している。それを打破するために自分で情報を得よ、人生にリスクヘッジをかけよ、というのがメッセージでした。

そんなお話を聞いていて、12年前、シンガポールに来るきっかけを与えてくれたある日の出来事を思い出しました。

当時、33歳。仕事は面白いし結婚はまだ先でもいいかな、と思い、先々を考えて都内にマンションでも買おうかと思っていました。当時はこういう女性が増えていたらしく、大手の○○不動産が都内に1LDKの単身者用分譲マンションをあるブランド名で売り出した時でした。

JR目黒駅から徒歩10分の好立地の単身者用マンション。賃貸に比べ共有スペースも広く、内装も凝っていました。ベッドルームには小さめでしたが一人なら充分。女性をターゲットにしていると見えてセキュリティとキッチンは充実していました。

で、お値段。

当時の価格ですが、3500万円。手続きのコストやローン利子を入れればほぼ4000万の物件でした。当時も10万円近く家賃に払っていましたし、ボーナスでの増額返済もある。しかし...

「ローンは35年で組んでいただいて云々...」とニコニコ顔で説明する営業マンの顔をぼんやり眺めながら35年間この部屋のためにローンを払い続ける自分を想像しました。

35年後は私は既に68歳。多少の繰上げ返済が可能だとしても定年までは確実にローンはついてまわります。その後に残るのは築35年の1LDKマンションだけなわけです。

「なんかおかしくないか?」
大学卒業後、かれこれ10年働いているが家を買う頭金もたいして貯まっていない(それは自分も悪いのですが)。その後、30年以上も借金返済に明け暮れ、その後にこの程度のマンションしか手元に残らない人生って一体何なんだ...?

将来住むところがなくなると困るし、年齢が高くなると独身の女性は部屋を借りるのも難しくなるという話はそれなりに理解はできました。でも、地方に行けばいくらでも土地は余っているし、そもそも住まいなんてライフステージによって変化する単なる「入れ物」でしかないんじゃない? ライフステージに住まいを合わせるのが本来であって、なぜ人生を犠牲にしてまで住まいのために働かなければならないのか?

「仕事をする場でしかない東京の住まいは賃貸、休暇やまとまった時間を過ごすために長野に一軒屋を持っている。引退後は長野でゆっくり暮らす」と言っていた著名なジャーナリストの方がいました。アメリカに留学していた時にお世話になったファミリーも、家族構成の変化やライフスタイルの変化に応じて家をどんどん住み替えていました。土地・家=資産なんだろうか? 流動性が確保できている市況ならばそれでも良いが、市場が急落したら売るにも売れなくなる。35年ローンを払い終えた時に長野で引退したいと思っても、そのマンションが売れる保証はどこにもないと思いました。

その日を境に私はことある毎に日本の先行きを考えるようになりました。
その状況の変化が自分の人生にどのような影響を及ぼすかを真剣に考えました。


既に高齢化社会への予測は立っていましたし、国家財政は赤字でした。バブル崩壊後で金利はどんどん下がりしかし株式市場はそれに反応しない。税収が足りなくなれば元々積極運用はしない日本政府のこと、増税という手段でしか赤字を埋めることはできないだろうな、と。そうなればこれまで払ってきた年金など払った分すらも戻ってはこないな、と。

そのときの予想は約10年後、経済小説家・幸田真音さんの「日本国債」「代行返上」などの作品を読むと充分当たっていたことを知らされました。

何よりもこれだけ働いてきて、将来にわたりまともに家一軒買えない国にいることがおかしいことのように思えてきたのです。

私の海外就職は実はそこから始まりました。

(次回に続きます)

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真のタフ・ネゴシエーターとは

シンガポールで仕事をするようになって気づくことのひとつに、「日本人はネゴ(ネゴシエーション)をしない」または「したがらない」ということです。

反面、こちらのシンガポール人は時として「そんな無茶な〜」と思えるほど強引にネゴをして言い分を通そうとする面もありますので、これもひとつの文化の違い。どちらが良いとか悪いとかの話ではありません。ただ、ネゴシエーションというより単に自分の要求を通そうと頑張る方も多いので、これをネゴシエーションと呼ぶべきかどうかはまた別の話です。

特に条件交渉などの場面でこの傾向が顕著に表れるようですね。
日本人はお金で揉めるのは見苦しいという美意識があるからでしょうか。
片やシンガポール人は「転職する以上、給与アップは当然」と考えます。ステップアップのための転職なら当然責任範囲も広がり、それに見合う待遇を求めてくる。同時に新しい環境へ入り不慣れな環境の中で早期に実力発揮を求められるというリスクを取るということだから、そのリスク相殺分はしっかりいただかなければという考えに裏づけされているようです(と、同時に企業側も「まだ未知数である相手」に賭けるわけですからお互いにリスクテイクする立場にあるのですが。たまにこの点については忘れている候補者もいるようです)。

日本人の候補者の方を面接していて「給与金額について具体的なご希望はおありですか?」と聞くと、「いや、先方企業から見て妥当と思われる給与で結構です」と答えられる方がいます。とはいえ、その方の家族構成などから考えてシンガポールで生活をしていくのに最低限必要な額というのはおのずと見えてくるはずです。そうした生活維持コストを試算できていれば、そしてその業界で経験があり給与相場もそれなりにわかっているならば、この段階で「先方の考える額で」ということ自体が誤りなのです。この一件で面接をする側はその人に冷静な判断力があるかどうかを見てしまいます。

当社も業界ごと、ポジションごとに大体の給与相場は把握しておりますので、明らかに常識はずれの「ふっかけてるな」的金額ならば、まずはその算出根拠を尋ねて軌道修正します。「先方様だのみ」で話が続き、最終的に企業からオファーが出た後、「よくよく考えてみたらこの金額では」という返事になると、その方の判断のタイミング、思慮の浅さを感じざるを得ないのです。

これは候補者側だけではなく、企業側にも同じことが言えます。かなり前のことですが、候補者側の前回給与を若干下回るオファーを出された企業がありました。これはその組織中、当該ポジションの上下に位置する給与額が固まっている中での算出であり、それ自体を変更することが難しかった例です。「この候補者は採りたい。でも給与はここまでしか出せない」の一点張り。そんな条件を伝書鳩のように候補者に伝えるのはコンサルタントのプライドに関わるというもの。

そこで企業側と話合った結果、試用期間後の給与見直しでも若干のアップしか図れない事情があるため、この社員についてはビジネスディベロップメント職ということもあり、別途、インセンティブ契約を取り付けました。単純に売上に対して何パーセントというインセンティブではなく、マネジメント項目も含めて全てポイント制にし、それをインセンティブに振り返るというスキームです。企業にとっても実質的な成果を上げた中から拠出される金額なので社内的な承認も得られた例でした。

ネゴシエーションというのは、最終的には共存共栄、WIN WINの状況を作り出すものでなければならないと思います。単に押しの強さだけで交渉力があると思うのも間違いですし、相手の状況を考えずに要求を通すことでもないと思うのです。相手に負担を強いずにどうしたら自分の要求が通るか。

交渉上手というのはどれだけクリエイティブな頭を持っているかなのではないでしょうか。
そして真の交渉上手というのは、どこまでいっても笑顔で粘り強く交渉を重ねてきます。
相手をリラックスさせ、態度を硬直化させない術も熟知している。
それは単に相手の顔色を見ながら感情に訴えた駆け引きを繰り返すこととは根本的に異なると思うのです。
否定的な表現より肯定的表現を多用するというのも言葉の選択で重要な点です。
「これじゃ出来ません」→「こうすればできます」と提案を含んだ言い方です。


とは言うもの、やはりネゴシエーションは難しい。
マニュアルがあっても参考程度にしかならないものです。
相手の考えを複数シュミレーションする想像力と、自分の希望する条件に優先順序をつけられる判断力、昨今言われるKYではありませんが、その場の空気を読める勘の良さ。
自分を殺さずにかつ相手も尊重する人としての品性。


一朝一夕には身に付かないものだけに、常日頃、様々な場で自分を訓練してみることが必要なのかもしれませんね。


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オタクになりきる英語攻略法

シンガポールの公用語は英語です。
と言うのに少々悩んでしまうくらい、シンガポール英語、俗称シングリッシュはマレーや中国語の訛りがかなり入っているのですが。

以前に勤めた会社で、イギリス人の同僚が「まいっちゃうよね〜、シングリッシュが聞き取れないと真面目に英語わかる?とかきいてくるんだから」と苦笑いしていました。ま、ノン・ネイティブの私たちにとっては相手もちゃんとした英語を話していないわけだから気負わずに話せる環境ではありますね。

それでもここの人達はハリウッド映画を字幕無しで理解できているわけだから、やはり英語力はそれなりにあるのです。以前に勤めた会社ではお客様には日本人の方がいらっしゃいましたが、一時期、社内では日本人は私だけという状況もありましたから、朝から晩まで英語漬けでした。会議やレポートを全て英語でこなすのは慣れるまでは大変でした。日本語が妙に懐かしく、こちらの紀伊国屋書店に入り浸ったりNHKの衛星放送のナントカ歌のステージなどを見て演歌を一緒に歌ってたり(傍目には危ない人??)...それなりに苦労もありました。

今では上手いとは思えませんが、一応、テレビの英語ニュースは問題なく聞き取れます。東京で勤務していたときはお客様が欧米企業からの駐在員でしたので、プレゼンテーションは全て英語。その環境も英語力を鍛えるには役立ちました(シングリッシュではなくまともな英語を話さなければならないプレッシャーも英語矯正力として働きました)。

よく「英語力をつけるにはどうすればいいんですか?」と質問されるのですが、これは一定期間マニアックに英語にハマるしかないです。また、英語は耳からとも言いますが、それでもある程度の文法(会話だけなら中学3年レベルで充分)とボキャブラリーがないと上達も遅くなると思います。実は私はNHK教育テレビのファンで、東京滞在中は英語やその他の外国語のプログラムをよく流して見ていました。教え方、上手いですよ、飽きないし。一度、きちんとやろうと思ったら、中学3年までの文法参考書を2週間ぐらいで徹底してやっつけてしまうのも手です。どんなに苦手という人でもさすがに中学1年レベルは流し読みで良いと思いますので、中2、中3の部分をきちんとこなすことです。これもだらだらやらないで、半月ぐらいでやり終えてしまうのがベストです。

耳を慣らすのに私が取った方法は、わかりやすいアメリカのホームドラマ(子供が出てくるドラマの方が言葉が平易)のビデオを借りてきて、何十回も流して観ることです。私は3回目あたりからテレビ画面の下部5センチぐらいに紙を張って字幕を隠して観ました。今はDVDですから字幕OFFに設定すれば良いですよね。こうして徹底的に繰り返して観るのです。だからある程度内容に興味があるビデオの方が飽きずに済みます。

この方法で私が観た映画は「ワーキング・ガール」「ウォール街」「セントエルモスファイヤー」「キューティブロンド」「トゥルーカラーズ」「アメリカンプレジデント」「DAVE」「ボーン・イェスタディ」...オフィスドラマ物、青春ドラマ物、ラブコメ物が多かったですね。あっ、80〜90年代の話だから映画自体がちょっと古いか...

要は何でもいいのです。とにかくどの映画も軽く30回は観ています。マイケル・ダグラスの大ファン(最近はジョージ・クルーニーに代わりましたが)ですから彼の出ているウォール街、アメリカンプレジデントはそれこそ台詞を覚えるまで繰り返しました。両方の映画ともに後半に彼がスピーチ(ウォール街では株式総会の場面、アメリカンプレジデントではネガティブキャンペーンの場面)をする場面があるのですが、両方のスピーチはついに全文を覚えてしまいました。鏡の前で一緒に真似してスピーチするのです。目線、手振り身振りも真似して(もっと危ない人に見えたかも)。

映画で英語を覚える利点は英語のリズムが身に付くことです。どこを強調しどこをさらりと流すか、というリズムがあると英語は上手く聞こえるものです。

いろいろなやり方があると思いますが、どれも「繰り返し身体で覚えるところまで徹底的にやる」ことだと思います。高校時代に1年間だけアメリカに交換留学していましたが、それが今の英語力に影響しているかといえば何とも言えません。仕事で使えるレベルの英語ではなかったと思います。価値観や物事の考え方では影響を受けましたが、英語は日本にいても身につけようと思えばできると思います。実際そういう人を何人も見ています。できないのはできないと思い込んでいるから。

先日、こちらのテレビでバス・マニアの若者の取材番組を見ました(飛行機じゃないですよ、バス、バス。普通の路線バスです)。彼らはシンガポール中の路線を徹底的に覚えて、バス車体の年代モデルが全て頭に入っている。いわゆるオタクなんです。徹底しています。人がなんと思おうとも四六時中バスのことを考えている。暇さえあればバス路線ディレクトリーをめくっている。

対象は何であっても極めるには一時期オタクになりきことが必要なのかも...

英語ってある程度のレベルまでいくと、そこからは自動的にボキャブラリーも増えていくし覚えもよくなっていくので、まずはオタクになって徹底的にやっつけちゃってくださいね。

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シンガポール住宅・引越し事情(その3)

前回からの続きでいきますね。
1999年の前半に長期の東京出張を命じられました。実際には8ヶ月程度でシンガポール本社に戻ったのですが、当初は最長1年の予定だったのです。

アジアの経済危機の時代で景気が悪くなることの不安はありましたが、不動産市場が下落してどうにかひとりでコンドミニアムを丸々一戸借りられるという嬉しい時期でもあったのです。

せっかく手に入った「丸々一戸」の暮らしを手放すことに抵抗はあったのですが、とにかく湿気の多いこの国で何ヶ月もエアコンを使わずに部屋を放置するなど考えられない。帰ってきた頃にはクローゼットの中がカビだらけになっているかも...それに何より住んでいない部屋に大枚を払うなんて!いくら安くなったからと言っても一戸丸々借りれば間借りしているより高くつきます。

そんなときに当時の同僚の日本人女性が「じゃあ、うちに来ない?大きな家の一間を借りてるんだけどマスターベッドルームが空いてるのよ」と嬉しい情報。

早速次の週末に出かけてみるとそれはUpper East Coast Roadのさらに先、East Woodと呼ばれる住宅地にありました。でもバス停まで徒歩2分。バスに乗ってしまえば乗り換えなしでシティホールの勤務先まで30分ぐらいで着きます。シンガポールは朝晩のラッシュアワーには一般車はバスレーンに進入してはならないという規則があるので、乗用車よりバスのほうがスイスイ進んだりするのです。

二連長屋のような作りですが、一戸一戸が巨大。玄関を入ると30畳ぐらいのリビング、階段を上った中二階にその部屋はありましたが、実はマスターベッドルームと呼ばれる主寝室はそのさらに上の階だったのですね。そこにはジャグジーつきのバスがあって大家さんご夫妻が暮らしていました。私のいるフロアは所謂中二階で他の部屋はなし。階段の踊り場にあるドアを開けるとその部屋につながっていました。

ドアをあけると15畳ぐらいのかなり広い部屋。右奥にバスタブと独立したシャワーブースがあり、バスルームの前の壁一面が収納です。今では1500ドルぐらいはかかるのでしょうか。当時は公共料金込みで700ドルでした。

私の同僚はそのさらに2階上の階の少し小さめ(それでも8畳以上は充分にある)の部屋に暮らしていました。最初は私の部屋にいたそうですが、シンプルライフの彼女は小さい方が落ち着く(本音は掃除も楽!)、だから家賃もその分安くして欲しいと交渉したそうです。

私は結局その部屋に引越し、大家さんのお人柄が信頼できそうだったので、不在のときには鍵を開けて週1回エアコンを1時間ぐらいかけて除湿してもらうことをお願いして出張先に戻りました。その後は2ヶ月に一回ぐらいシンガポールに戻って数日本社で働いたらまた東京に出張するという生活を続けていました。

ホームステイみたいに見えますが、実際には大家さん家族とはほとんど接触なし。門限もないし、居ようが居るまいがお構いなしという様子でした。洗濯だけは階下の大家さんの洗濯機を借りていましたが、バスルームが広いのでそこに干していましたね。キッチンは使えませんでしたが冷蔵庫は同僚の彼女と私で一段貰っていました。でも、手頃に外食できるし、部屋に湯沸しポットだけ置いておけば特に困りませんでしたね。

よく、大家さんや他の入居者がいることで抵抗があると言われるのですが、こちらの暮らしでは割と当たり前のことです。特に今のような家賃の高い時期は、フラットシェアをしたり大家さん同居の住宅の一間を借りたりしたほうが賢明でしょう。玄関と自室の鍵を渡され、あとは勝手にどうぞ、という感じです。同じ屋根の下に住んでいる同僚とも会ったり会わなかったり。朝もお互い自分の時間で出勤しますから、たまにバス停で会って「あれ、戻っていたの?」と言われたり。

不動産市場は高騰しているのはほんの一時期で低迷している時期の方が長いのです。
前回お話ししたように、礼金もなく敷金も1ヶ月(たいてい全額返金されます)、引越し屋さんも安いのですから、再び家賃が下がる時期が来たら積極的に動くぐらいの柔軟な考えでいったほうがストレスにならないと思います。




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シンガポール住宅・引越し事情(その2)

「12年間に6回の引越しをしている」と言うと引越し魔のように思われますね。あっ、別に夜逃げの必要があったわけではないんですよ(こんな狭い国土で夜逃げもないですから)。

これはもう単純に不動産市場の動向を見ながら、「同じ予算でも市場が下がればもっと環境の良いところに」。 また、最初に入った会社で半年以上の長期出張で東京に滞在した際は「住んでないのに高い家賃を払うのは惜しいから、もっと安いところに」、を繰り返した結果なのです。

日本だったら礼金が家賃の2ヶ月、敷金が2ヶ月、仲介手数料が1ヶ月分かかりますから、そんなに引っ越したら大赤字です。引越し屋さんに払うお金もかかります。でも、ここでは手間さえいとわなければ大丈夫なのです。

まず、礼金は存在しません。敷金(デポジット)は通常1ヶ月分です。これは部屋にダメージを与えてそのまま逃げてしまう入居者がいる可能性もありますから、大家さんとしても当然の防衛手段ですよね。 で、仲介手数料。これはかつては全額大家さんの負担でした。今は家賃2500ドル未満の物件に関して不動産会社の仲介を経た場合、1ヶ月分の仲介手数料を大家さんと入居者で半額づつ負担します。そもそも入居者という、家賃を払ってくれるお客さんを探してもらうのに、なぜその入居者が手数料を負担しなければならないのかは疑問でしたから、こちらのシステムにはすっきりと納得しました。

そしてこちらは大半の物件が家具・家電製品つきなのです。ですから選択に余裕があるときは、この点もチェックして物件を選ぶことになります。カーテン、ベッド、クローゼット、テレビ、エアコン、洗濯機、冷蔵後、電子レンジ、基本的な食器、調理器具などたいていのものは既に備え付けてあります。好みのベッドシーツとタオルさえ買えば、とりあえず生活は開始できます。

引越し屋さんはこれは千差万別。シンガポール人は国内引越しであればトラックを借りて自分でしているようです。こうした時に割と気軽に「手伝ってよ」と頼める社会のようで、親戚や友達が借り出されることもよくあります。私も同僚の引越しは何度か手伝わされました。実際に力仕事をやったり掃除を担当したり。あっ、作業中に犬を預かってくれと言われたこともありますね(無類の犬好きですから)。

私はそういう部分は日本人的なのか、せっかくの休日に友人に申し訳ないし、自分のプライベートな品をあれこれ見られるのもなんとなく嫌だったので、ローカルの業者さんにお願いしました。私がお願いしたところはかなりやり方は荒っぽかったものの、かなりの分量でも300ドルぐらいでした。

最初の2人のシェアメイト(同居人)と1年半生活して、少し生活に余裕が出てきたので2年目の終わりに初めて一人でコンドミニアムを一戸借りました。築4年ぐらいのイーストコーストにある物件で、引っ越した夜にひとりで夜空を見ながら敷地内のプールで泳いだ時は嬉しかったですね。こちらのコンドミニアムにはプール、テニスコート、フィットネスジムなどがついていることが多く、住人は無料で使えます。あと、門番として24時間、セキュリティガードがいることが多いのも安心ですね。

1997年。アジアの景気が下り坂になり、それまでの家賃相場ががくっと下がった時でした。(次回に続く)

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シンガポール住宅・引越事情(その1)

シンガポールに暮らした12年間に私は6回の引越しをしています。

シンガポールに渡ったのは今と同じく家賃高騰の1996年。コンドミニアムを丸々一戸借りたら現地採用者の平均給与が家賃で飛んでしまうという時代でした。

苦肉の策として最初に選んだのはオーチャードロードに徒歩5分、アメリカ大使館の正面という立地だけは素晴らしいものの、築30年のエレベーターもないアパート。ここをスウェーデン人の女性と香港人の女性とそれぞれ一部屋づつ借りて共同で住んでいました。といってもこちらの住宅はいわゆる欧米仕様ですし、古いアパートだけに広々。リビングは軽く20畳、キッチンが10畳程度、私の住んでいた部屋も10畳程度に専用のシャワーとトイレが付いていました。

こうした住み方をこちらではフラットシェアと呼びます。大家さんは同居しておらず、それぞれが決められた家賃を毎月支払い、公共料金は3人で分割して払っていました。日本では「他人と同居するなんて」と抵抗があるかもしれませんが、こちらの住宅では広さがあることから極めて一般的なことです。

で、当時の家賃が850ドル。便利な立地かつ高級住宅街だっただけに少々割高だったのかもしれません。まだ、何もわからない頃でしたので、とにかく中心地に近く便利なところで、と考えたのでした。後からわかったのは、シンガポールはどこに住もうと勤務先(当時はシティホール。ラッフルズホテルのすぐ近くでした)まで通勤に1時間以内で充分行けるということ。わざわざ高い家賃で中心地に住む必要などなかったのですね。それでも会社の帰りにオーチャードをぶらぶら散歩して、そのまま歩いて帰途に着く、というスタイルは気に入っていました。近くには植物園もあり、休日にはジョギングしたりして中心部ながらも環境は最高でしたね。

さて、今回から数回に渡ってシンガポールの住宅事情と引越しについてお話しいたしましょう。

住むところは大切ですよね。家賃は毎月の固定費となりますし、初めてシンガポールに引っ越す方は何を持っていけばよくて何はいらないのかもわからないですよね。そして何よりも、慣れない環境で生活するにあたり少しでもくつろげる住まいを見つけるのは、仕事をしていく上でも大切になってきます。

ここしばらくブログ更新が疎かになっていましたが、今日からは連続で書いていきますので毎日ご覧になってくださいね!(と、大見得を切ってしまいました、頑張ります)。

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就職相談会in東京〜無事終わりました〜

平均気温28℃のシンガポールから一転して極寒の東京に参りました。
到着した日は「大寒」。
一年で最も寒い日にふさわしく、成田到着時に震え上がりました。

23日は雪にもかかわらず、予定通りの人数のご参加をいただきまして誠にありがとうございました。23日、27日ともに約20名のご参加をいただき、「相談会」の名前の通り、活発な質疑応答、体験談などが飛び交いました。

今回、具体的にシンガポール就職への第一歩を踏み出す決心をされた方々とは、今後、個別にカウンセリングを行い、ご希望のキャリアに踏み出せるよう細かくアドバイスさせていただきます。

そして、これは相談会の中でもご紹介いたしましたが、「シンガポールのプライムサーチに国際電話をかけて相談するのも色々大変だし」とお悩みの方には、スカイプを利用した無料通話で時間を気にせずカウンセリングすることも可能ですので、まだ試していない方は是非、この機会に利用してみてください。

詳しくは下記からアクセスして使い方を覚えてください。
http://www.skype.com/intl/ja/welcomeback/
シンガポールというより海外そのものが非常に身近に感じられるようになると思います。
スカイプの利用者となりましたらスカイプIDとカウンセリング希望日、時刻を当社にお知らせいただければこちらからコンタクトいたします。

シンガポールはもうすぐ旧正月(Chinese New Year)。
ビジネス全体がスローダウンする時期だけに、この時期はあまり動きがないのですが、旧正月明けに転職する人が増える傾向がありますので、そのタイミングで欠員募集が増える可能性は大です。非公開求人も充分ありますので、今すぐの転職でなくとも、一度当社にご相談いただければ、求人案件が一般公開される前に応募することもできます。

今後も定期的に日本での就職相談会を開催してまいりますので、今回お越しになれなかった方も是非、次回はいらしてくださいね。


東京にて「シンガポール就職説明会」を開催いたします

今年も残り少なくなってまいりましたね。

さて、当ブログ筆者の経営するプライムサーチインターナショナルでは、来年1月に東京にて「シンガポール就職説明会」を開催いたします

近日中にホームページ(このブログにリンクされています)にも詳細を載せますが、まずはこのブログからご案内をお送りさせていただきます。

これは別に「登録会」ではありません。
勿論、すぐ就職活動を開始されたい方には、閉会後、お時間を設けて登録をしていただけます。別途、個別相談をご希望の方には会場にてお会いする日についてご相談賜ります。

しかし、まずは「シンガポールで働くってどういうこと?」「自分のキャリアにふさわしい仕事はあるのか?」「シンガポールの生活事情を詳しく知りたい」というオリエンテーション的な内容から入ってまいりたいと思います。
質問、疑問もその場で解決してしまいましょう。

さて、日時と場所ですが、今のところ下記を予定しております。
日時はほぼ確定ですが、場所については参加人数をみながら会場を設定してまいりますので、参加ご希望の方にのみご連絡させていただきます。

日時:第1回:2008年1月23日(水)19:00〜20:30
   第2回:2008年1月27日(日)14:00-15:30
   ☆内容は第1回、第2回ともに同じです☆

場所:JR新橋駅近くを検討中(交通の便の良いところにいたします)

定員:第1回、第2回ともに20名程度を予定しています。

参加費:無料

締切日:2008年1月15日(火)定員がありますのでできるだけ早めにお申し込みください。

申し込み方法:
   このブログにリンクされているプライムサーチインターナショナルのホームページ(www.primesearch-i.com) の応募フォームのページよりお申し込みください。ページ上部の「希望職種」の欄に「水曜日希望」または「日曜日希望」と記入し、応募フォームにある「*」の付いた項目を全てご記入ください(それ以上に詳しい情報をお送りいただいても勿論結構です)。当方よりメールでご連絡し、会場その他の詳しい情報をお送りいたします。


では、皆様に東京でお目にかかれるのを楽しみにしております。


ペンネーム「ラン」ことプライムサーチ代表取締役 川村千秋





シンガポール就職記・その2

このところ海外出張が相次ぎ、加えて9月から東京に毎月通って某国際的資格の取得に励んでいるランです(試験は1月。どうしよう〜)。
そんなこんなで、またまたブログの更新が遅れてしまい気付くと早、年の瀬。。。
皆様、ご無沙汰しております。

再び10年前に記憶を戻してシンガポールで初めて「海外就職」なるものを体験した時の話をしてみますね。

さて、私の場合、ゴールデンウィークを利用して面接を受けにシンガポールに行き、数社の面接を経てありがたいことに第一志望の会社から採用通知をいただきました。日本ならここですんなり退職手続きに入れるところなのですが、ここは海外。私は外国人。就労ビザ(シンガポールではこれをEmployment Pass、略してEPと呼びます)が発給されなければ即、不法滞在。いえいえそんな贅沢(?)を言う前に、就労目的で再度シンガポールに来ること自体が出来ないのです。

シンガポールではビザの申請は採用企業によって手続きが取られます。
採用企業の担当者の方より英語で書かれた数ページの書類を渡され、経歴や連絡先など細かく記入します。

途中で気が変わるとでも思ったのか、人事マネジャーは「日本に持っていってから書いていただいてもいいですよ。郵送してもらえれば、企業側が記入する部分を補足して政府に提出しますから」とあっさり。

そう聞いて、ほぼ反射的に「いえ、書類は明日までにお持ちします。不明な箇所があったらその場で教えてください。完成させて帰国するまでにお渡しします」と言ってしまいました。

やりたい仕事が見つかってここでひるんでもう一度考えても意味が無い。
考え直すくらいならそもそもここにはいない。

仕事の内容、社内の雰囲気、会社の成長性、上司の人柄。。。この仕事なら面白いと感じられる点も多くありました。敢えて言えばもう少しお給料が欲しかったかな。
でも、その点は面接時に堂々と「成績評価のシステム、昇給のシステムはどうなっていますか?」と質問していたので、「要は入ってから成績上げればそれに伴い給料は年度中でも上がるんだな」と納得していました。また、面接を受ける前に家賃をはじめ物価水準や税率などをある程度把握しており、「最低いくらあれば暮らせる」というボーダーラインがはっきりと自覚できていたことも利点でした。

私の長所を問われた時、「決断力と行動力」といつも答えているのですが、それは海外就職をする上で結果的に重要な要素だったんだな、と後から思いました。
実際には行動が早すぎて相手を置き去りにしたり、おっちょこちょいのカンチガイもあるんですけどね。「決断力」であって必ずしも「判断力」じゃないのかもしれませんね。

ただ、就職に限らず海外で生きていく上で「自分の基準」というものがはっきりしていた方が向いている、つまり幸せに過ごせるのではないかと思います。何らかの判断を下す際に「これは絶対に譲れない」「これは条件次第では譲歩してもいい」「これははっきり言ってどうでもいいこと」と物事を瞬時に分類できる基準を持っているかどうかはその後、人材サーチコンサルタントとして多くの候補者の方々とお会いした経験からも言えることです。

MUST HAVE(どうしても譲れないこと)、NICE TO HAVE(あれば尚良いこと)。
この二つを書き出して、優先順位をしっかりつけていくこと。

そして、柔軟な姿勢で交渉に臨むこと(交渉するときは笑顔でね!)。
NOと言われても簡単に引き下がらないこと。
そしてこれらがクリアになったら無駄に時間を稼がずに「自分で自分の背中を押す」こと
踏み出す勇気を持つこと。
同時にどうしても譲れないことについては、NOと言う勇気も持つこと

当時、33歳。
ひとつひとつを自分で決めていく、そんな人生の幕開けでした。
1996年5月の出来事。



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