少し前までは考えてもみなかった海外就職。

応募書類を揃えてコンサルタントに相談して。
それからいよいよ渡航して面接。

うんうん、感触はいいぞ。シンガポールって国も住みやすそうだ。
おっ、結果が出た。そうか、来て欲しいって有難い返事だな。
条件も思った以上に良かったじゃないか。
こりゃ、本気で頑張らなきゃな。。。
数年後は英語も上達してシンガポールや周辺国を飛び回る国際人になった自分が目に浮かぶ。

誰しも感じるその時点でのワクワク感。
想像していた世界が急に現実味を帯びてくる瞬間です。

しかし、そこから現実の世界に再び引き戻されるのです。

退職願を出したら上司の顔色が変わったりもします。
「オマエ、そりゃ冒険だよ。海外就職?止めとけ止めとけ。
 あっちはいわゆる外資系だぞ。”ガイシケイ”。
 いつクビになるかわかりゃしないじゃないか」


同僚も心配します。
「●●さん、止めときなさいよ。一生、海外でやっていくならともかく、いつかは帰国したくなるかもしれないじゃない。再就職、厳しいよ」

そして多くの候補者の皆さんは悩むのです。
自分はとんでもないキケンな賭けをしているんじゃないか、と。

プロフィールをお読みいただければわかるように、私自身は波乱万丈、破天荒な人生を送ってきました(別に希望したわけじゃないけど、結果的にそうなってしまったのです)。そして、誰もが自分のような人生を送るべきだと言っているつもりはありません。守らなければならないもの、手放したくないものも人には多くあります。

こうした時期にはたと現実に戻り、立ち止まって悩んでしまうことを私は「コミットメントブルー」と名づけています。マリッジブルー、ほら、結婚直前の女性が「ホントにこの人でいいのかしら?」と急に不安になってしまうあの心理です。

そんなとき、私が候補者の方々にかける言葉はいつも同じです。

自分で判断することの大切さをもう一度考えて欲しい、と。

周囲は海外へ出ることを勧めてもし失敗したら責任を持てないから、保守的なこと、無難なことを言います。自分の言葉で誰かが冒険して失敗したら、大切な友人を一人失うからです。

その言葉に従うのもひとつでしょう。
しかし、「あの時、あのチャンスを掴んで踏み出していたら」という一生引き摺るかもしれない未練、「もっと面白みのある味わい深い人生を送らなかった」ことに対する後悔について、「止めとけよ」と言った人々は責任を取ってくれるでしょうか。

答えは勿論、NOでしょう。

「この株、買ってみようかな」
「止めとけば?暴落しちゃうかもしれないし」

そうですね。そこで止めておけば、貴方のお財布は現状維持ができるでしょう。
ただ、もっとお金持ちになるチャンスも同時に失ったということです

踏み出すということはそういうことなのだと思います。

偉大な経営者の多くがその著書の中で書いていること。
それは、
ブレインは大切だ。情報が結果を左右することもある。
しかし、最後に決断を下すのは周囲の誰でもなく自分である
、と。

その多くは必要にして充分な情報が集まった後は際限なく情報を集めようとせず、
ひとり自室にこもって最後の判断を下す、ということです。

探すほどに情報は出てきますが、それに振り回されてしまうことの恐ろしさを彼らは知っているのでしょう。

コミットメント(何かの行動を取るにあたっての決断)の前に迷うのは当然。
そしてブルーな気分になるのもこれまた当然。

しかし人生は決断することの連続。
自分の中で「譲れるもの」と「譲れないもの」をはっきり見分けて、好機を逃さずにコミットすることで人はようやく踏み出せるのかもしれません。

そして一旦踏み出した後は一定期間、あえて振り返らないことも大切だと私は思います。踏み出した直後に振り返って見たものは、未練という感情でどうしても美化されやすいからです。一定期間経った後に振り返ってみると、その当時、抱いていた執着がそれほどの価値を持たなかったということに気づいたりもするようです。