ミャンマーの首都ヤンゴンで取材中だったジャーナリスト長井さんが軍によって射殺されました。最期までビデオカメラを離さずに息を引き取ったその姿に不屈のジャーナリスト魂を感じた人は多かったことでしょう。

シンガポールで最初に勤めた医療サービス会社で、私はアジア太平洋地区のマーケティングを担当していました。医療水準の低い国で在留外国人への医療サービスを提供する会社でしたから、当然、出張先は「生水の飲めない国」ばかり。ミャンマーにも10回近く訪れたことがあります。

ヤンゴン市内のインヤレイクという静かな湖のほとりにあるインヤレイクホテル(当時の名前)の敷地内に勤務先が直営するクリニックがありました。ここで欧米人医師とミャンマー人医師が協力して企業会員の駐在員に対して欧米諸国水準の医療を提供するのが事業内容でした。

出張は2泊3日程度の短いものが中心でしたが、一度、出張中にJICAのミッションの方々がお越しになるとのことで1週間以上滞在したことがあります。夕方6時ごろに仕事が終わると長い夜が始まります。インヤレイクホテルに滞在していましたから、クリニックからわずか2分で部屋に戻れてしまい、そこからはNHK衛星を見るしか過ごし方がないのです(それも2時間時差なので夜10時には終了)。

街中で英語は通じないし、公道からかなり深く入った森の中にホテルがあったので容易に外に出ることもできず、全くの軟禁状態(あの勇気ある女性と同じ環境に身を置けたことはある意味光栄?)。そこで、思い切ってホテルにガイドとリムジン(といっても普通車)を用意してもらい、夕方からヤンゴン市内観光に出掛けました。1998年のことです。ガイド料と車代で25ドルでした。ミャンマーの物価から言えば大変贅沢な値段になります。

政府からの許可証を胸につけた28歳の青年がガイドとして迎えに来ました。
まず、向かったのはスーレーパゴタ。長井さんも死の前日に撮影された場所です。夕方のヤンゴンは帰宅途中の人で混んでいましたが、それでも日本や周辺諸国に比べればのんびりとしたもの。車もそれほど多くはありませんでした。

スーレーパゴタは市内の中心にあり、仏教徒が大半を占めるヤンゴン市民の心の拠り所といった存在。入り口で靴を脱ぎ、建物内に入ります。仏像のある建物を取り巻くように回廊があり、パゴタでは必ず時計と逆周りに回らなくてはならないそうです。足元をヤモリがたくさんチョロチョロしていましたが、不思議と気にならなかったのはその荘厳で神聖な雰囲気に圧倒されたからでしょうか。

印象的だったのは、帰宅途中の家族連れ、恋人同士が静かに祈りを捧げていたこと。
両親の横にちょこんと子供も座り、静かに仏像に向かって拝んでいたのが心に残りました。決して豊かとは言えない日常生活の中で、仏に、自分の心に向き合うゆとりを持って生活しているミャンマーの人達。物質文明に囲まれた先進国で忘れてしまっている謙虚で清貧な生活。仏教徒ではない私も、思わずひざまずき手を合わせてしまいました。

その後、ガイド君は湖に浮かぶ客船に案内してくれました。レストランになっているそうなのですが、なぜかこの日はお休み。ということで、わざわざ車を降りて定休日のレストランの外側を観に行ったというちょっとおマヌケな展開。

今から10年近く前ではありますが、首都ヤンゴンと言っても電力供給が充分でなく、街全体が薄暗かったことが印象的でした。

正直、あまり観光するスポットは無かったヤンゴン。しかし、一生懸命、英語でミャンマーの歴史を含めて説明してくれるガイド君の姿が思い出に残った数時間でした。

最後に「これチップだから受け取って」と10ドル札を差し出した私に、ガイド君は「お金は規定料金を貰っています。だからこれは受け取れない」と固辞。「いいじゃない、感謝の気持ちなんだから」と言うと、「僕は政府公認のガイドです。これを受け取るのは倫理規定に反します」。

ともすればチップをねだってくる国にばかり出張していた私にとってはちょっとショックにも近い感動を覚えました。

もっと勉強して優秀なガイドになる。ガイドの仕事ぶりで外国人客はミャンマーを理解してくれるかどうかが分かれる。だから、この仕事に誇りを持っている。日本人のお客さんが増えたら日本語も勉強したい。そんなことを熱く語ってくれました。

あれから9年。今、彼はどうしているだろうか、と長井さん関連の報道番組を見ながら思いました。愛国心に満ちた彼のことであるから、もしかして民主化運動に早々と身を投じているかもしれません。生きていて欲しい、そしてあの静かで穏やかなミャンマーに日本人のお客さんが多く訪れて、その前で誇らしげにガイドをしている彼が見たいと思いました。

寺院からのお経の響きと藍色に染まった空に浮かぶ月。祈りを捧げる家族連れ。素足にひんやりと伝わるスーレーパゴタの石の床。

長井さんの死でミャンマーという国に対して日本人の目が初めて向いたのではないかと思います。平穏に見えて実は軍事政権で自由と人権を取り上げられた国、ミャンマー。どの取材先においても平和を欲する人々をカメラで追い続けた長井さんは、その死を持ってこの国の平和運動を推進させる貢献をなさったのではないかと思います。

丁度、日本の実家に戻ってきていたこの週末、明日8日に青山葬儀所でお葬式があることを知りました。三連休を実家で過ごそうと思っていましたが、明日の朝、上京し参列することにしました。その後は北品川のミャンマー大使館前での民主化の呼びかけに参加しようと思います。

ミャンマーのために。そしてあのガイド君の将来のために。