前回のブログでご紹介したピアニスト舘野泉さんのピアノリサイタルが、6月1日夜、シンガポールのヴィクトリアコンサートホールで行われました。BlogPaint

それに先立ち、前日にはシンガポールの最大手新聞であるStraitsTimesの取材が行われ、通訳として同席する機会をいただきました。

舘野氏は現在73歳。芸大を首席で卒業し、「北海道生まれの母の影響か、寒い土地に憧れがあった」との一念で卒業直後にフィンランドのヘルシンキへ渡りました。当時、芸大を首席卒業すればリサイタルやオーケストラとの共演のオファーが舞い込むにもかかわらず、それらを振り切ってふらりとヘルシンキへ降り立った日本の若者は、まずは自分のピアノを聴いてもらおうと費用を自己負担して初リサイタルを行ったそうです。

結果は大成功でヨーロッパの7つの新聞で高い評価を受けたものの、アジアから何の後ろ盾もなくやってきた若手ピアニストがそのまま仕事にありつけるほど現実は甘くはなかったそうです(その準備過程で必要に迫られフィンランド語を2ヶ月ぐらいで覚えてしまったのは音楽家ゆえの耳の良さ?)。

4ヶ月して手元の資金が底をついた頃、ヘルシンキ市の音楽大学の教授が心臓発作で他界され、リサイタルの評判を記憶していた関係者から学校で教えてみないかとのオファーが来ました。それまでは教会でオルガン奏者をする代わりに宿舎と食事を提供され何とか生活していた舘野氏は、その頃にはすっかり気に入ってしまったフィンランドで暮し続ける手段としてそのオファーを受け取ります。数年で国立音楽大学であるシベリウスアカデミーの教授職に就き、その後はヨーロッパ各地での演奏会、メシアンコンクール第2位と演奏家として輝かしいキャリアを積み、1981年には外国人としては唯一のフィンランド政府による終身芸術家年金を受けるに至ったとのこと。これまでに世界各国で3000回を超す演奏会を開き、CDのリリースは100枚近く。

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実は私の家庭も一応、音楽一家。母親はピアノ教師、両親共にクラシック音楽の大ファン、叔父は高校の音楽教師をしながらかつて静岡県交響楽団というアマチュアオーケストラで指揮者を務め、従姉妹は芸大卒業後ウィーン国立音楽院でチェンバロを学んだという経歴。でも、私自身は演奏の才能はゼロだったようで、母親に叱られながらなんとかソナチネアルバムを終了したあたりであっさりドロップアウト。聴く専門となったもののやはりクラシック音楽への関心は尽きることなく、その中でもピアノは一番親しみを覚える楽器でした。

今回、当社プライムビジネスコンサルタンシーは日本航空さん、シャングリラホテルさんYAMAHAさんという大企業に並んで僭越ながら協賛企業として名前を連ねさせていただきましたが、こうしたご縁が生じる前からピアニスト舘野泉のCDは私のコレクションの中に入っていたのです。

その舘野氏、2001年にリサイタルでの演奏中に脳溢血で倒れ右半身不随になりながらもリハビリを続け、見事に第一線に復帰されました。未だに右手は演奏には使えずという状態。絶望の中で過ごしていた時期、左手のために作られた楽曲を試しに弾いてみた瞬間、「右手だろうが左手だろうが、手が1本だろうが2本だろうが音楽をするということには変わりはない」との思いが瞬間に浮かび、一切の迷いが吹っ切れたとのこと。それからは左手だけでリサイタルを開き、日本ではチケットが取れないほどの人気ぶり(今回、日本ではなかなか聴けないから、とシンガポールまでファンクラブの会員が聴きに来ていました)。

実際、聴いてみればピアノの88鍵の上すべてに彼の左手が舞うように動き、ペダリングの巧みさから音が途切れることもなく(あれだけペダルを使っても音が一切濁らないのはさすが!)、実に澄み切ったそして流麗な音色を奏でていました。ピアノはバイオリンと違ってキーを叩けばとりあえず音は出る。それだけに音色の深みを出すことの難しさは多少でもピアノをかじった人であればわかること。

そして、たしかにピアノの楽譜はト音記号とヘ音記号に分かれて書かれていますが、別に上を右手で下を左手で演奏せよとはどこにも書いていない。両手だろうと片手だろうと、そこに描かれている音楽を奏でることができれば良いわけです。

ま、これは言うのはカンタンですが、実際は舘野氏のレベルの技巧を持ち合わせている人間でなければ不可能なことなのですが。


リサイタルにはお世話になっているクライアントに加え、親しい友人も招待させていただきました。
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一応、スポンサー企業ですから開演まではご挨拶まわりに忙しく、しかし、ひとたび客席に着いてからは日常のすべてを忘れてその音色に酔いしれました。20年前に初の海外出張先となったヘルシンキ、週末に訪れた森と湖に囲まれた北欧の自然が脳裏に浮かんだ2時間でした。

お招きした方々からも、ピアノという楽器があれほどまでに深く情感を表せる楽器だったとは知らなかった、聴いている途中で思わず涙が出てきたという感想をいただきました。それはもはや弾き手の腕が1本か2本かという次元ではなく、終始目を閉じていても同じような感動を得られたであろうという芸術の域なのでしょうね。

終演後は日本大使館主催のレセプションに出席。
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いつもお世話になっているシンガポールビジネスフェデレーションCEOのテン・テンダー氏は奥様とお嬢様を同伴されてお越しになりました。奥様も不動産業界でバリバリ仕事をこなしているキャリアウーマン、お嬢様は慈善事業に従事していらっしゃる素敵なご一家です。山中シンガポール大使ご夫妻、Keppel GroupのCEOなど政財界の方々とも親しくお話しさせていただく機会を頂戴しました。

その後は大使館、主催者LaMuseの代表の方々と共に、舘野氏と共演の平原あゆみさんを沖縄料理にお連れして深夜までくつろいだ時間をご一緒させていただきました。沖縄料理と泡盛、先生は大変楽しまれたようです。舞台を降りると舘野先生は気さくで楽しい73歳のおじいちゃまになって、これまでに演奏旅行で訪れた国々のお話しを楽しそうにされていました。

5月28日の到着から約1週間、到着翌日のランチ、日曜日の植物園での無料コンサート、ストレーツタイムスの取材、リサイタル当日、そしてリサイタル翌日はインフルエンザにかかってしまった先生と平原さんを日本人クリニックにお送りしたり、と多くの時間を共有させていただきました(そしてその間に多くのビジネスネットワークも築きました!)。

音楽を語られる時には、いつもの穏やかな眼差しから一瞬意志の強い芸術家の眼差しになるのですが、一貫して感じたのは「音楽をする」ということにかけての信念と情熱。「音楽が僕を生かし、僕が音楽を生かしている」という言葉通りに、その人生においてぶれることのない信念と情熱を持ち続けている素晴らしい芸術家でした。と、同時にオフステージでは飾らないお人柄で、つくづく「この方にとって音楽をする、ということ以外は何であっても実にどうでも良いことなのだ、と実感しました。その「抜け感」もまた素敵でしたね。一芸に秀でた天才はそれ以外の分野にはこだわらないのでしょうが、まさにその通りでした。

何かを成し遂げようとする時に必要なものは、どこまでいっても「信念」と「情熱」なのだと、改めて学ばされた1週間でした。