「こっちのヤツってホント、ほう・れん・そうができないんですよね」

ある日系企業のオフィスにて。
目の前には昨年初めて海外勤務になった日本人の男性駐在員。

確かにあまり相談しないで自分の考えでどんどん仕事を進めてしまうローカル社員は多い。

「だからダメなんですよね、独力でやっちゃって後から言ってくるからねぇ。
 訊けばいいのにねぇ。で、トラブルがあったら早めに報告するとか・・・」

ふーん、そうかもしれないですねぇ・・・と私はコーヒーをいただきながらじっくり表情を観察。

途中、片言の日本語の秘書が書類を持ってくる。
「ふんふん、そうか、じゃあ●●さんに電話しておいて。あ、オレ、この後外出するからね。直帰するし、直帰、チョッキだよ!」

シンガポーリアンの秘書嬢は真剣な顔で指示を聞いていたが、どこまでわかったものか半信半疑。
「チョキ・・・ですか?」
「そうそう、じゃあまだミーティングしてるから」

追い立てるようにドアを指差した。
秘書嬢はそそくさと退散。

彼はかなりの早口。頭の回転もいいんだろうな、仕事のテンポも速いだろうな。
でも、相手の視線では見られない方かも・・・こういう上司だと苦労するな・・・それにしてもこのコーヒー甘いな・・・そんなことを考えながら話の続きを始める。

採用事業をやっていると日頃シンガポーリアンの求職者と話す機会が多い。
そこでは日系企業に対する彼らの本音が聞ける。
上司にも人事にも、もしかしたら同じ会社の同僚にも話さないかもしれない本音だ。

よく聞かれるのが「日本企業は上司とコミュニケーションが取れない」というもの。英語がそもそも苦手な人が多いし、ということは言葉が通じない相手と仕事をするようなもの。

「英語ができるから海外赴任するわけじゃない。仕事ができるから選ばれたんだ」
「日本は憧れの国だろ?日本企業に入れてお前らラッキーと思えよ」
「日本企業に勤めるならローカル社員こそ少しは日本語を学べ」
「別に好きで選んでシンガポールに来たわけじゃない。本社の決定だ」

駐在員の貴方、これを読んで「そっ、そっ、そーなんだよ!」などと頷いてはいらっしゃらないでしょうね?
それって結構・・・カッコ悪い姿です。
そしてそれが態度に出るようになったら貴方の会社は既にアブナイかも。
貴方の会社の社員は人材紹介会社に来て「言葉のよく通じない上司相手に仕事をしてコミュニケーションミスで誤解されて、相当厄介なんです、うちの上司」なんてこぼしているかもしれません。

考えてもみてください。
貴方は中東の某国の日本支社に勤めています。
ある日、某国から駐在員がやってまいりました。

「俺はアメリカが大嫌いだ、よって英語なんか勉強しない。ましては国連公用語にもなっていない極東の島国の言葉なんて知るか(アラビア語は一応公用語ですよね)!」「そもそも俺が東京に来たのは仕事の中身だけを評価されてここにきたんだ。お前ら中東の会社に勤めるならアラビア語を勉強しろ」

会議はアラビア語がわかる人間だけで進める。
日本支社の現地社員は英語もそこそこできるのだが、駐在員がアラビア語しかわからないから結局あとで重要事項はアラビア語会議で決めてしまう。
その議事録はあのミミズが這ったようなアラビア語でしたため、本社へ送信。
本社からのメールも大半がアラビア語だ。

アラビア語中心で進める会議に出たって貴方の耳には情報は入らない。
情報共有が不足しているから、たまに勘違いからくるトンチンカンな発言をしてアラビア人マネジャーたちの冷たい視線にさらされる。
「コイツは仕事出来ないな・・・」
きっとそう思われているだろう。でも、誤解を解くほどこっちはアラビア語ができないし。
えーい、メンドクサイ。放っておくしかない。
最近、社内会議での貴方の存在は空気より軽くなってきた。
一応、貴方は現地社員では一番上。それだけにツライ。

おっと、今度は本社から技術者が大量に派遣されてきた。
製品仕様書も取扱説明書も全てアラビア語だ。
出たばかりの最新機器だから日本語訳が間に合わなかったそうだ。
でも、同じ理由を3年前にも聞いたような・・・
その時の最新機器の取説はいまだにアラビア語バージョンのままだ。
結局、自分が日本語で取説を作った。
で、他の仕事が遅れて日本語とアラビア語のチャンポンで叱られたような・・・

製品のボタンにに貼られているステッカーも全てアラビア語だ。
アラビア語がわからなければ、「うーん、この機能を使うには右から、えっと・・・イチ、ニ、サン、そうか三番目のボタンを押すんだな」と貴方は記憶する。
一事が万事そんな調子だから記憶違いからくる誤操作はよくある。

本社の技術者に訊ねたらアラビア語で言葉を区切るようにしてゆっくり話してくれたが・・・
しかし、アラビア語はアラビア語だ。わかるわけがない。
戸惑ったような微笑みを浮かべて立ちすくんでいると、彼はさっさと手元を動かして仕事を進めてしまう。

貴方は自分に言い聞かせる。
「仕方がない、後でまた試行錯誤してみよう」

「ああ、今日も疲れた。アラビア語学校でも行くかな・・・でもアラビア語なんてこの先ほかでは使うことないだろうし」
オフィスを出ると上司達はアラビア語で楽しそうに喋りながら社用車に乗り込んでいった。
今日もまた中東の水タバコが楽しめるクラブ・シェラザードに行くのかな。
「極東の島国って馬鹿にするけど、その島国で商売させてもらってるだろうが。で、その島国内にもお客さんがいるだろうが。俺たちいなけりゃ、そうしたお客さんとも話できないじゃないか」

ま、いいか。中東なんて観光で行くのはいいけど、俺だってアラビア語しか通じない国なんてゴメンだからな。
その程度のものなんだ、関心なんて・・・
入社した時はこうじゃなかったけどな。憧れてたな、あの国にあの頃は。
現実の生活では言葉がまともに通じない上司の下で働いてコミュニケーションミスで責められるのはいつもこっちだからな。

これは誇張ではなく日常的によくある話。
アラビアを日本に自動変換して読んでください。

「報告しない、相談しない・・・」とローカル社員を責める前に、
「オレには報告しない、オレには相談しない・・・なぜだろう?」と考えてみてはいかがでしょう。

外国語で外国人のマネジメントをしなければならない。
その御苦労はとてもよくわかります。
でも、ここはシンガポール。
シンガポールの論理でものごとは動いてしまうのです。

流暢でなくても話そうとする努力をしている。
その熱意が伝われば現地社員は応えてくれるでしょう。
温度差が開いてしまうのは、英語が上手くないという事実ではなく、それに開き直りをしている事実なのです。英語下手を言い訳に相手に伝えよう、理解しようという気持ちを最初から放棄してしまっているからです。

面談時に現地社員が嘆くのはこの点。
彼らは日本人の英語下手を非難してはいません。
ある意味、シンガポールのような多言語国家はむしろ少数なのですから。

ま、米国人。この方々も世界どこへ行っても英語で押し通すというヘンな押しの強さが目立ちます。でも、そこは言語としての汎用性を考えれば日本語は圧倒的にマイノリティなのですから・・・

社長室を出た時、秘書嬢は日本語の辞書と格闘していました。
入ってきた電話に応対しながら社長は「見送れなくてスマン!」と言いたげに片手を上げて頭を下げています。
相手に気を遣う方なんだな、本当はいいヒトかも・・・

「あのね・・・チョッキって“直接(家に)帰る”っていう意味。辞書にはないかもね」
そう秘書嬢に伝えてオフィスを出ました。