久々に東京の友人から電話がありました。

3年間勤めた某外資系企業をこのたび退職したとのこと。日系証券会社の営業マンからスタートした彼は、その後、私財を投げ打ってアメリカ南部のビジネススクールに私費留学。サマージョブ(夏休みのインターンシップ)中に一瞬ウォールストリートの証券会社から本社採用日本勤務というおいしすぎる条件で青田買いされかけたものの、のんびりした南部から一転して生き馬の目を射抜くウォールストリートでの生活はあまりにギャップがありすぎたようで、惜しげもなくあっさり辞退。

帰国後はこれまたあっさりとフツーの転職サイトで見つけた別の日系証券会社にフツーの待遇で職を得て約8年勤務。昔のウォールストリートアレルギーが消えかけた3年前に某外資系金融機関にヘッドハントされ、遅まきながらの外資デビューをした超マイペース人間。

昨年の出張時に久々に会った彼はブルックスブラザースのスーツにクレリックのシャツと外見はそれなりに“外資な人々(昔、そんなタイトルの本がありましたね)”していたけれど、飲むとなったら、「赤坂とか六本木とか言わないでよね〜。高いしさぁ〜(高給取りのくせにこのドケチ。転職の際にレジュメのドラフトをしてあげた恩を忘れたか?)。オレ、あのスノッブな雰囲気がダメなんだ〜、客に外人とかやたらと多いじゃん(アンタの職場には外人はおらんのか?)。やっぱり飲むなら新橋だよねぇ」と思いっきり庶民的な新橋の小料理屋に連れて行き「酒はやっぱり芋焼酎だよねぇ。あ、ねぇさん(なぜか彼は私をねぇさんと呼ぶ)梅干それともレモン?(酒飲みでない私には意味不明)ちなみにワインとかないから、この店」とくる愛すべきキャラの男性です。

外資に入ったときから、この無欲で他人を信じやすく日本の田舎の香りプンプンの純朴そのものの男があの世界で生きていけるのだろうかと陰ながら心配をしていたのですが、仕事はできる男だったようで特に問題なく順調に日々を送っていたようでした。

そんな彼が「ビジネススクール時代の友人が始めたコンサルティング会社に誘われている」とメールをよこしたのが半年前。例にもれずリーマンショックの影響か、彼の職場でも大量解雇の嵐が吹き出した頃でした。どう考えても辞めなくてもよい立場だった彼ですが、退職勧告を受けた同僚の愚痴につきあった酒の席で「オレも辞めようかと考えている」などと口走ってしまったせいか、次期の退職勧告者リストにはしっかりエントリーされていて、しかし結果的には会社都合による退職ということでちゃっかりそれなりの退職金もいただいて退職したという、運がいいのか悪いのかわからない人物です。

そんな彼、曰く。
「いやぁ、ねぇさん、オレにもダンボール箱来ちゃったよ。ほら、あの辞めていく人達が私物入れて持ち帰るためのダンボール箱。しかも、退職意思を表明した時点から、段階的に社内のイントラネット上の情報へのアクセスが制限されていくんだ。オレなんて顧客担当じゃないから辞めるとわかったら外部への挨拶も不要と思われたらしく、退職日までに許可なく顧客と接触するなとかいろんなこと書かれた書面にもサインさせられたよ。あんなもんなのかねぇ」

日系証券会社時代、転職するかどうかの相談まで上司にしていたという厚い信頼関係の中で育ってきた彼にとって、今回の退職劇はかなりシビアなものに映ったようでした。

「んなの当たり前でしょ。私が辞めた時なんて、その瞬間からメールのパスワード変えられたし、顧客との接触不可。その日のうちにダンボール箱来たわよ。翌日からは出社に及ばずというヤツでね。給料出るからまぁいいか、と腹くくったけど。懲戒免職でもないのにちょっとあれはねぇ。でも、会社の立場から見れば必要なことなのよね」

「へぇ、やっぱりそうなんだ。じゃあメールとかもチェックされるんかなぁ。飲み屋のおねえちゃんとの交信記録とか思いっきりヤバいメールもあるんだけど」

「時すでに遅し。全部チェックされてるよ。だいたいそんなメールに会社のアドレス使うアンタが悪いのよ」

「今度、行く会社との条件交渉や過去のヘッドハンターとのメールなんかも全部残ってるんだ」

「会社のメールアドレスなんて所詮は会社のプロパティ。ビジネス専用なんだからね。私用で使ってその内容を見るなというほうがおかしいんじゃない?」

「オレ的には飲み屋のおねえちゃんとのラブラブメールの方が心配だなぁ。後はどうでもいいんだけどさ。あのさ、うちのシステムのヤツと一緒に行った店でね、同じ女の子なんだよね、そいつが好きだったのは。ヤツ、システムにいるから見れるんかなぁ。それでね・・・」

「(絶句&無言)」。まあ通話料はコイツ持ちじゃ、延々と話したまえ、とパソコンを打ちながらふんふんと話を聞いてるフリ・・・

全ての外資系がそうだとは思いませんが、契約関係というドライな関係で結ばれているという大前提を忘れると、こうした事態に欧米企業は時として非情と映るようです。コンプライアンスがしっかりしている会社ほど、社員の退職に際しての情報漏れには厳しいルールを設けています。私も退職の際、ある日突然パスワードが変わっていたという経験をしています。システム部の同僚を軽く睨むと「Oh, Don’t look at me. I am only doing my job」と言われてはっとしました。

自己都合であれ会社都合であれ、退職すると表明した時点から会社と自分との間にはひとつの壁が生まれると覚悟したほうが良いでしょう。その時になってバタバタしないように、それなりの準備をしておくことも必要です。以前の職場の同僚は、ランチタイムに上司に退職届を出したら午後にはもう姿を消していました。仕事の引継ぎの重要性とその社員による情報持ち出しのリスクとを天秤にかけ、会社はどちらを優先するかというシビアな選択をします。例外なく後者の対応を取る会社も多く、日系企業のように1-2ヶ月も退職までに猶予をくれる会社は少ないといえます。その同僚の場合は明らかに後者の対応であり、デスクの整理もろくにできず大慌てで出て行きました。転職後の挨拶状を送りたい相手もいたと思いますが、全てはこれまた時すでに遅し、でした(もちろん、翌日から出社しなくてもノーティス期間相当分の給与は支払われます)。

これは果たして東京の友人が言うように「冷たい、非情な」ことなのでしょうか。
私自身はそうは思いません。会社としての無形のプロパティを守るために、シビアに捉えればそうあるべきなのです。仮にそうした対応がなされなくても、社員としては常にそこに基準を置いて行動することが大切だと思いますし、それがプロフェッショナルな態度なのではないかと思います。

転職のご相談の際に「会社のメールアドレスあてに送っていただいていいですよ。どうせ誰も見ませんから」と言う方がいますが、本来あるべきプロフェッショナルな態度としては、これはあまりお勧めできることではないと思います。その会社に在籍している間に得たIntelligence(“情報”という意味でのインテリジェンスです)は会社の無形資産。リスペクトして扱う必要があると言えるでしょう。

転職が日常的になった現代において、乱暴な表現ではありますが「いつ辞めても困らない身じまい」をしておくことは、ある意味ひとつの会社へのリスペクト、愛社精神の表れでもあると思うのです。仕事についてもマニュアル化できるものはマニュアルにしておく。名刺は整理しておく。業務以外の内容では会社のメールは使わない。関係のないメールは定期的に削除しておく。フォルダーは常に整理しておく。

一日の中で8時間以上を過ごす職場。感覚的にそこが自分の生活の場となるに従い、ついついプライベートな何かを持ち込みがちになりますが、会社のコンプライアンス部門に諭されるまでもなく自分でこうしたルールを作っておくことにより、適度な緊張感を持って仕事する新鮮さを維持できるのではないでしょうか。

先週末、また東京の知人からメールが来ました。

「ねぇさん、今度の会社は四ツ谷にあります。大学近くの土手の桜がきれいだったので写真を送ります。先日、新橋で美味い地鶏の店に行きました。焼酎の種類がハンパじゃないです。今度、また行きましょう!(だから私は酒飲みじゃないってば!)」

メールのアドレスはGmailでした。