国際都市シンガポールで暮らすコンサルタントの異文化日記

アジアの玄関シンガポールに暮らして20年余。 海外就職→転職→日本(逆)駐在の波乱万丈を乗り越えてシンガポールに経営コンサルティング会社を設立。 異文化というAWAYでの戦いを日々楽しんでいる日本人女性経営者の異文化日記です。

生涯現役?Rod Stewart in Singapore

元々“書くこと”は好きなのですが、その気になると一気に書きだす反面、書かない時は全く書かない・・・およそブロガーに向かない性格ですね。物書きを生業としていたら絶対編集者泣かせになっていただろうと思います。

と他人ごとのように言っていないで・・・はい(反省)。

気がつくとなんと3月。最後の更新は「新年おめでとう」ですから、我ながらいい加減にせーよと言いたくなります。メールを下さった皆さま、忘れないでいて下さってありがとうございます。

さて、週末はウェストコーストの田舎に引きこもりの私ですが、昨晩は久々にお出かけをしました。Singapore Indoor Stadiumで開かれたRod Stewartのコンサートに行ってきました。誰と?いえ、ひとりで・・・はい確かに。目撃者多数ですから(後述)。

遠い記憶では10代のころにたしか親に内緒で武道館コンサートに行ったなぁ・・・などと回想しながら会場に着くと、さすが還暦過ぎたスーパースターにふさわしくそれ相応の年代のファンが集まっていました。直前は大雨だったし、シンガポールで本当に会場埋まるのかと疑った自分を反省。

3週間ほど前に偶然SISTECのウェブサイトで見つけて、ほぼ反射的にステージ真下の2列目という超プレミアチケットを購入してしまったワタクシ。そのエリアはやはり40代以上のファンで埋め尽くされていました。

20年ぶりに見たロッドは相変わらずオーラ全開。
途中、「ボクの21歳になる娘です」と紹介し、娘のRuby Stewartがステージに出てきた時には一瞬引きましたが、ブロンドを追っかけまわしていた悪ガキ・ロッドもいつしかいい大人になったなぁと。

最近のアルバムではアメリカンスタンダードを歌ったりしておとなしくなってしまってつまらないと感じていましたが、年輪を重ねた彼にふさわしい選曲だったのかな、と妙に納得した次第。やはり若いころ、散々やんちゃをやってきた男の方が年齢を重ねると素敵になるんでしょうか。声は全く衰えてないところはやはりすごいですね。自らスーパースターと名乗ってしまう自意識過剰男の若いころより、ステージもシンプル、エンターテイナーかつファシリテーター的気遣いを見せながらのMCも大人の余裕を見せていました。

この手のコンサートで休憩時間があるのには驚きましたが、それも出演者の体力を考えれば当然かも。その合間に「Chiaki san having fun ?」と友人から携帯にメール。前方の巨大スクリーンに数回にわたってノリまくってる私が映し出されたのを目ざとくチェックされていました。あぁこの世間の狭さがシンガポール・・・(汗)。
どうぞ夜9時のニュースには出ませんように・・・(′∀`)

シンガポールはエンターテイメントがない!などと言われますが、探してみると結構あるものです。コンサートも手頃なお値段で行けるし(ロッド最前列から2列目は破格でしたが・・・当面、窮乏生活)、何より結構直前でもチケットは手に入る。終電を気にしなくてもタクシーで帰れるし、日本の都会よりナイトライフは充実しているのでは?

次はバンコクを回って13年ぶりの日本公演だそうです。
それにしても還暦過ぎてもあの迫力。
The Rolling Stonesという上には上もいるものの(!)、生涯現役ってやっぱり凄いと思うのです。
















明けましておめでとうございます

皆さま、明けましておめでとうございます。
昨年も多くの方々から励ましのメッセージをいただき感謝しております。

私のこれまでの経験や日常のささやかな発見を皆さまと共有したい思いで、ぽつぽつと書き続けてきたブログですが、このブログをご覧になって当社とのビジネスに繋げて下さった方々や、メディア取材という方法でより多くの方々へメッセージ発信する機会を作って下さった方々に巡り会うことができました。本当にありがとうございました。

2009年は色々な意味で環境の変化への対応を求められる年になると思いますが、悩みに対する戦略を持って立ち向かえば恐れるに足らずと考えております。

環境、状況が変わり続ける時だからこそ、自分の中にある信念をどれだけ貫けるかが問われると思います。外に目を向ける勇気を持ち続け、内面を客観視できる冷静さを保ちながら、難しいこの1年を迎え撃つ気持ちで過ごしてまいりたいと思います。

「相変わらず強気だなぁ〜」と笑われそうですが、攻めの気持ちを失ったら戦う前に負けちゃいますからね。

今年も皆さま、どうぞよろしく。
皆さまにとりましても実り多い幸せな1年となりますように!


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私のキャリア半生記(リストラ編)

前回の“人生のリスクヘッジ”では、どうして私が東京オフィスへ出向したのか、というところまで書きました。そこまでを読めばまさしく順風満帆の会社員人生であったわけです。しかし運命とは気まぐれなもので、その先の展開はかなりドラマチックでした。

東京での仕事は厳しいものでした。競合他社を吸収合併した直後でそれぞれの会社の社員が混在する環境でした。私の役割は3つありました。

ひとつは重複する顧客との契約内容を合理的に整理し、それにしたがってオペレーションのフローを構築し直すこと。競合他社を吸収したのですから当然お客様も重複しています。まずはそれぞれの契約内容を整理し、お客様に対しては合併によってお客様側のメリットは増えこそすれデメリットは生じないことをしっかりご説明しました。実際のところは社内の混乱により(ちなみにこの合併は1か月前に突然の発表という形で知らされました。私が上司からそれを聞いたのは発表の前日でした)トラブルが発生しがちな状況だったのですが、合併の混乱を理由に他社に契約を乗り換えられないよう、内心は冷や汗をかきながらも冷静を装い続けました。お客様の会社のビルから出た後、「あ〜、あんなに大風呂敷広げちゃったけど本当に大丈夫なのかな・・・ま、大丈夫にさせるのが自分の仕事なんだから!」と気を取り直してオフィスに戻る。その繰り返しでした。

合併後は外部から新しく日本支社長を採用する予定でしたから、その時点では支社長の席は空席。GM代行という肩書で赴任したのが私ですから、自分が第一線に立って動かなければなりません。昼間はお客様を訪問して説明にあけくれ、夜は整理された契約内容にしたがって新たなオペレーションフローを構築するために現場のスタッフと協議を重ねました。

二つ目は社員のリストラ。合併後の会社としての契約内容が更改された時点で契約高やオペレーションコストも明確になってきます。損益分岐を見定めた上で何人のスタッフを解雇しなければならないかを試算します。シンガポール本社ではしっかりした業績査定システムがあったのですが、東京オフィスでは全く機能しておらず、上司との面談でなんとなく次年度の年俸が決まっていたようでした。そうした中で育ってきた社員が人事考査というシステムを正しく理解し、カルチャーの変化にソフトランディングできるよう心を配りました。一人一人時間を取って呼び出し、人事総務・経理部長同席のもとでレビューを行いました。目標設定がそもそも曖昧だったのですから、客観的な業績査定を行うことにはかなりの無理がありましたが、いくつかの客観的ファクターを除いては本人のプロ意識、今の会社の状況を自分なりにどのように捉えているか(そこである程度その人の状況判断力、戦略立案力がわかります)の点に絞って判断しました。同時に次年度の目標設定と今後のキャリアパスについての希望を聞きだすよう心がけました。

最終的に10名程度のスタッフに退職していただくことになりました。「私の後に着任する新しい日本支社長とともに戦える相手であるかどうか」も重要ですから、会社へのロイヤリティがあまりに欠けており、断片的な情報をもとに自分勝手な会社批判をする方はやはり辞めていただくより他ありませんでした。突然本社よりやってきて、こうした決断を下した私を個人的に恨む人も一時的には生まれました。リストラになった部下を持つマネジャーが夜中に抗議の電話をしてきて朝まで話し合ったこともあります。夜中12時過ぎにオフィスから自宅に戻るタクシーの中で思わず涙が出たこともありました。それでも、私が会社の置かれている状況を末端の社員にまできちんと伝え、会社の今後のビジョンをはっきりと描き、その上で一緒に頑張ってほしいというメッセージを発信すると、受け止めてくれたマネジャーの何人かが業務上も精神的にも支えてくれ、ありがたく感じました。記憶に残るのは50代の経理マネジャー。娘のような年齢のGMだったにも関わらず、立場を尊重してよく協力して下さいました。二人きりになると「川村さんも辛いね、でも正しいことをやっていることは私はわかってますよ」と言ってくれました。

三つ目はキャッシュフローの改善でした。合併先の会社はかなりワンマン社長で仕事に情熱はもっている方でしたが、その反面、冷静なビジネスとしての分析はかなり甘く、社長が懇意にしているお客様には損益分析もせずにサービスを提供していたり、売掛金の回収が長期間できていなかったりもしていました。お客様全社に対してのクレジットリスクをはっきりさせ、支払期限の厳守を徹底しました。同時にお支払いただけてない先には自ら出向き交渉しました。とにかく逃げない、汚れ役は自ら買って出向く。それが自分のモットーでした。

赴任直後の月半ばに経理のマネジャーが「川村さん、今月、これだけ足りません」と言ってきてショックだったのを覚えています。それまでは足りなくなれば本社から送ってもらってたそうで、そのやり方に慣れている社員に「プライドを持ってください!」と檄を飛ばしたことがあります。私は自分がGMをやる以上、今後、一度たりともそういうことがあってはならない、そうでなければ東京はいつまでも自立できないと告げました。「本社に対して注文をつけるなら、自分たちの身仕舞いはしっかりやってください。自分たちがとってきた契約は最後まで責任を持ってください。入金が確認できなければその仕事は完結していません。契約金額だけ上積みしてもキャッシュフローが回らなければ会社は潰れます」とことあるごとに言いました。でもその結果、社員全員が会社全体のお金の流れを意識する感覚を持つようになり、コストセンターである総務・経理・人事などの社員もコスト意識をもって仕事をするようになりました。営業ばかりが稼いでくるのではない、自分たちも無駄をなくし、外部業者と交渉するときにはできるだけ有利な条件を引き出すことにより会社に数字上の貢献もできるのだ、という理解が生まれたのでした。全員の協力に支えられキャッシュフローは大幅に改善し、私の東京勤務期間で本社に「お願いコール」をしたことは一度もありませんでした。

8月に赴任し5ヶ月目になったころ、東京の次期支社長が決まったとの連絡がありました。私はもともとシンガポールを離れるつもりはなく、半ば会社に頼まれてやってきたのですからこのニュースは朗報でした。引き継ぎマニュアルを作成し、果てはその方のデスク回りの備品にまで心を配って万全の体制でお迎えできるようにしました。シンガポール本社に出張した際に一度お会いし、東京でも何度か夕食をともにしながらこの半年間の状況を整理してお伝えしました。

人事発表があってから2週間後、私は突如、本社の上司に呼び戻されました。
「早く戻ってきて。私と一緒にグローバリゼーションプロジェクトをやりましょう」
私はその話に浮足立ちましたが、後で冷静になってみると何か不自然な様子がありました。

赴任した時もバタバタでしたから引き上げる時もバタバタであろうことは予想していましたが、月曜日に電話がきていきなり1週間後に戻って来いというのはあまりに不自然でした。新社長をお客様に紹介してから戻りたいと言うと、「それはまた来月に再度東京へ出張してやってくれればいいから」と。なぜ、そんなに急なのかと訊くと「東京からのお客様のベトナム視察に同行してほしい」。たしかにベトナムは担当市場でしたから様子はわかりますが、それは私以外でもできる人はいました。

とにかく訳がわからないだけに直接会って話を聞こうと思い、素直に帰国準備を進め1週間後に本社に戻りました。

シンガポールに戻った2日後にお客様を連れてベトナムのホーチミンシティに1泊2日の出張をしました。そして翌日、シンガポールのオフィスに出勤するとITのマネジャーが私のラップトップPCを預かりに来ました。時は1999年の年末。ミレニアム問題でIT関係者がかなり神経質になっていた時でしたから、何の疑いもなく渡しました。

その日の午後5時過ぎ。周囲のスタッフがそろそろ帰り始めた時、私は取締役の部屋に呼ばれました。広いその部屋には私の上司、人事のマネジャー他、何人かのキーパーソンが並んでいました。取締役は東京での私の仕事ぶりに最大限の賛辞を述べた後、ゆっくりとしかしはっきりとした言葉で言いました。

「東京へ転勤してほしい」そして、そのあとに続く言葉は衝撃的でした。
「現地採用として。君のポジションはもうシンガポールにはない」
数日前に呼び戻され、マンションを解約し引っ越し荷物を送ってしまってからの宣告。何が何だかわかりませんでした。シンガポールの現行給与をそのまま円換算し、今度は住宅手当も駐在手当もないということです。私の業績になにか不満な点があるのかと訊いても「君は素晴らしかった」の繰り返し。先ほど取り上げられたPCの中をチェックされても困るものなど一つもない。いったいなぜ・・・

取締役は目の前に一通のレターを出し、「その条件に合意してくれるのであればここにサインしてほしい。回答期限は今月の15日まで」。私は朦朧としながら「では、それに合意しなかった場合は?そもそもこういう展開になった理由は?」と訊くと、「合意しなかった場合は残念ながら退職してもらう。ただ、会社の組織変更によるものだから退職金は給与の3か月分を出す。東京での業績評価に応じた報酬も出すつもりだ」。

時は金曜日の午後5時過ぎ。私は翌週から2週間休暇を取って旅行する予定でいました。本社での仕事再開に備えて英気を養っておきたかったからです。東京では連続して11週間週末も含めて一日も休んでおらず、有給はいくらでも残っていました。その日はとりあえずそのレターを貰ってサインはせずに帰宅しましたが、悔しくてそしてそれ以上に何が何だかわからなくて、旅行先のペナンに向かう飛行機の中、泣きどおしだったことを覚えています。

ペナン滞在中に回答期限の15日が来ました。このまましがみついて東京に転勤しても先は見えている。ならば自分で幕を引こう。金曜日の夜、知人を通じて弁護士にも相談しましたが、日本で言うところの労働基準法はこの国では存在せず、ホワイトカラーの雇用を保護する法律はないことを知り、絶望的な思いになりました。

自分は会社にとって捨て駒だったのか?新GM着任前に体制を整えるため、リストラも含めて汚れ仕事を一身に請け負うだけの存在だったのか?東京のオペレーション機能強化も果たした今、シンガポールから東京にベースが移るというのはある意味道理のある話。では、なぜ実質給与ダウンになるような雇用条件を提示してきたのか。

そんな思いを巡らせ悔し涙が枯れるころ回答期限が来ました。朝、ホテルの部屋でサインをし、ビジネスセンターからFAXで送りました。36歳と9か月、独身、女性。晴れて(?)異国で失業者となりました。

リストラに至った原因は入社後間もなくして退職された東京の新GMによる一方的な意見だったそうで、退職後半年ほどして事情がわかりました。私が入社したときは世界中で600名程度の社員数だったのに、この時期に買収を繰り返して急激に拡大したのです。そんな時期にはいろいろなことが起こるわけです。

その後、当時の人事マネジャーより戻ってこれないかという打診もいただきましたが、後ろ髪を引かれながらも人生に後戻りはないと言い聞かせました。好きな会社だっただけに尻尾を振りたいのはやまやまでしたが、やはりもう少々突っ張っていないと自分が保てない状態だったのかもしれません。

ただこの1件を通じて、欧米系の会社の優先順序はやはり「まず組織ありき」なんだなと思いましたね。一概には言えませんが日本企業のほうがその点、人間味のある対応をしているように思えます。どちらがいいとは言えないし、やはりこれはその人と社風との相性なんじゃないかと思いました。

退職して3か月後、この東京赴任以前に声をかけて下さっていたヘッドハンティング会社に入社し、晴れて今があるわけですから、長い目で見ればこの時点でリストラになって良かったのですが、私はこの経験を通じて会社との向き合い方、自分の人生の舵取りの仕方を学んだような気がします。


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究極的なコミュニケーション力とは

コミュニケーション。

「コミュニケーション力が高い」というのはどういうことを意味するのでしょうか。求人企業が求めるソフトスキルの中にこれを入れることが多いです。また、求職者の方のレジュメを見てもコミュニケーション力があるということをアピールされる方が多いようです。

私はそうした求職者の方にいつも質問します。
「貴方にとってコミュニケーション力が高いとはどういうことですか?そもそもコミュニケーション力って何だと思いますか?」

多くの方がここで口ごもります。
「えーっと、英語はある程度できますし・・・じゃあコミュニケーション力=語学力なんですか、と訊いてきそうだな・・・、ええ・・・異文化の中で・・・もにょもにょもにょ・・・ううっ、川村サン、聴き取れないって顔してるぞ」
私はニコニコしながら求職者の方が喋り終えるまで延々とお待ちします。意地悪ですね。でも、正しい答などないから、その方が自分なりにコミュニケーションをどう捉えていらっしゃるかが知りたいだけなのです。

確かに難しい質問です。
語学もちょっとできるし、シンガポールという異文化の中でやってきたし、コミュニケーション力と書いても認定書を出せといわれるものでもないし、ソフトスキルのひとつにアピールしておこうか。
まぁ、こんなところではないでしょうか。

私自身の中にも明確な答は長いことありませんでした。
かつて就職活動の際にこの質問を受けたときは、確か「WinWin(双方利益)を目指す会話能力」と答えてその場をしのいだ記憶があります。

先日、ある研修ビデオを見ていて「そうか!」と思ったことがありました。
これは営業マンを育てる目的のビデオでしたが、上っ面のノウハウではなく、物事の捉え方、視点の定め方、意思伝達の仕方を観ている側が自ら答を探し出せるように促す素晴らしい内容でした。

その講師の方が同じ質問を受講生にしていました。
「コミュニケーションとは何ですか?」と。
多くの人は、“コミュニケーション=話す”と理解しているそうです。
そうなるとコミュニケーション力がある=弁が立つ、ということになってしまいます。口下手の人や外国語での話になるとかなり不利ですよね。

その方にとってコミュニケーションの定義とは、「自分が望んでいることを相手が自発的に行うように促すこと」なのだそうです。

なるほど!と思いました。

話術も強制も必要ない。ただ、手法はどうであれ、最終的に自分が望んでいることを相手が自発的に行った時、コミュニケーションが成立するのだ、ということなのです。それが自分から相手へメッセージが伝わり、相手がそれを受け止め自ら立ち上がって行動を取る、それが真の意思伝達であると。

単純な例をあげれば、勉強嫌いでテストは20点しか取れない子供に対して、
「勉強しないといけないよ」というのは正しいことです。しかし、子供は強制されて勉強するにとどまることでしょう。高校生にもなればその言葉も無視されておしまいです。

しかし、
「勉強しないのに20点も取ったの。じゃあ勉強なんかしちゃったら一体何点まで上がることやら〜(早くも嬉し泣き)」であれば、子供は「ボクってまんざらでもない、もしかして?」という心理になるわけです。

この講師の方は仰っていました。
正しいことを言うことだけがコミュニケーションではない」と。

「勉強しなければいけないよ」これは正しいこと。しかし、子供はその言葉で勉強を始めるでしょうか?そもそもそんな子供なら20点など取ってこないでしょうね。「20点も取ったの〜?(嬉し泣き)」は正しいことではありません。しかし、結果的にその言葉で子供が勉強するようになれば、それは正しかったのです。

最終的に自分の望んでいることを相手が自らの意思を持って行うように促すこと、それができればコミュニケーションは成立したということなのです。ましては、言いたいことを伝えるがコミュニケーションではないことは明らかですね。

最近読んだ「賢者の知恵」という本にもありました。
「過程も大切だが結果はもっと大切であると」
ちなみにこの本の著者はスペインのカトリックの神父さんですが、全く神学的な内容ではなく、生きるに必要な知識ではなく知恵をとことん伝えています。カトリックの坊さんが書いたとは思えないほど、俗世間を真に賢く生き抜くための知恵がつまっているのです。ニーチェやショーペンハウエルなども絶賛したという人生の哲学書、ヨーロッパではユダヤ系の人々を中心に長く愛読されてきたそうです。

過程も大切だが結果が伴わなくては話にならない。結果が伴わない過程はやはりどこか間違っていたと認めざるを得ない、ということでしょう。子供の頃から言われてきた「結果ばかり追い求めてはダメだよ。人間はそこに至るまでの過程が大事なんだ」という言葉に惑わされがちですが、社会人、プロフェッショナルとしてこれを結果が出なかったことの言い訳に使っているようでは、そもそもダメだということでしょう。

そうなるとコミュニケーションも同じ。

一般的に正しいとされていること、自分が相手に伝えたいことばかりを伝えても、自分の望んだ反応を相手が示さなければやはりそのコミュニケーションは成立していないのです。

安易に使っている「コミュニケーション」という言葉。
日本人は国際社会においても交渉下手だと言われますが、それはコミュニケーションをスキルとして学んでいないところに原因があるようです。そしてもうひとつは「何が自分の望みなのか」という優先順位が本人の中でも曖昧なことが多いからでしょう。

転職のご相談を受けていて、私は常に「貴方にとっての優先順位は何か?何を求めて転職するのか?」という目的意識の掘り下げを行います。日本人でこうした点をしっかり固めている人は比較的少数です(片やシンガポーリアンや欧米人の求職者は最初からこの点がはっきりしている人がほとんどです)。

終わりよければ全て良し、というのは少々乱暴な表現ですが、やはり自分の望んだ結果に至らなければそれは目的を遂げたことにはならないのですね。であれば、相手とのコミュニケーションひとつを取っても、目的遂行のための意思伝達、と捉えることが大切なのでしょう。

ただ、それをエゴを持って行うと決裂します。
相手が自発的に行うように促すこと、が大切なのです。

私は「売れる営業ノウハウ」のような本はあまり読みません。
多くが「私の場合はこうして成功しました」という「手法」の紹介だからです。
状況は各々異なっても、その底に一貫して流れるフィロソフィーのようなものこそが勉強になります。知識ではなく知恵ですね。

バルタザール・グラシアン著「賢者の知恵」
貴方の愛読書にも是非どうぞ・・・(和訳も出ています)


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「女性社長.NET」取材記事 Vol.1 & Vol.2




「人脈」の話

こういう仕事をしていると「人脈広いでしょ?」とよく言われます。
たしかに在星ビジネスマンの方々とお話ししている際に、共通の知人が多くてお互いビックリなどということはよくあります。

シンガポール在住歴も12年を越しましたし、その間には数年間東京に赴任したり、また起業準備期間の1年間はいろいろなことに首を突っ込みましたから、様々な業界の方とお知り合いになる機会に恵まれました。
名刺ボックスはぎっしり詰まって4個。
日本、シンガポール、その他と地域で分けています。

しかし、その人脈が全てビジネスで使えるかと言えばそうではないのですね。

人材サーチの仕事をしていると「知人友人に声を掛けて候補者として紹介するんでしょ?」などというとんでもない誤解をされることがあります。それでクライアントが求める人材が提供できれば苦労はありません。むしろ親しい間柄の方の転職には関与したくないというのが私の本音。これは「病院の医者は自分の家族を担当しない」のと同じ理由です。どうしても知人寄りの立場で仕事をしてしまいますし、この仕事に必要な客観的に求職者を見る観察眼が曇るからです。

話がそれましたが、そもそも、ビジネスに使える人脈とは何か?

それは仕事の中で対価を求めずに「この人のためにひと肌脱いでやろう」と立ち上がって具体的なサポートを提供してくれる間柄の人だと思います。それには責任も伴いますから、いい加減な気持ちではできないですし、時間と労力を犠牲にしても応援する価値があると思っていただけなければあり得ないことです。

自分の夢や理想に共感してくれ、「コイツなら応援してもがっかりさせられることはないだろう」という信頼を持っていただけなければできません。

そういう関係を築ける相手だけが自分にとって真の人脈、人的資産だと思っています。

対価を求められなくても感謝の気持ちは忘れず、そして機会があれば自分もまた相手の仕事の中でお返しができるように努めています。勿論、本当にお世話になった方には「ありがとうございます」と菓子折り持って出かけたりもしますが、私は「仕事のお礼は仕事で」と考えるようにしています。

多くの人脈を持っていると自負する方も、それが自分の勤務先の人脈なのか自分個人の人脈なのかを知っておく必要があるかもしれません。実際、退職して無冠となってからかつての取引先に出かけたら何とも冷たくあしらわれたというお話も聞きます。これはその人脈が自分個人ではなく○○会社の△△さん、にあったということなのでしょうね。となると、少なくとも名刺の数イコール人脈ではないということですね。

真の人脈を構築するには○○会社の△△さんという存在を離れても「人として付き合いたい」と思わせる何かがなくてはならないのだと思います。それは単純に人間としての魅力だったり、その人の持っているビジネスの知識だったり、またはうんとプライベートに共通の趣味だったりするのでしょう。

そうした関係を維持するには「自分が相手を知っていて得をすること」よりも「相手にとって自分を知っていることで得になるかどうか?」を考えなくてはならないと思います。また、それぞれの方のお仕事やご家族、趣味などを常に頭に入れておき、「これは○○さんが欲しい情報だろう」と思ったら躊躇せずコンタクトする。そうして常にアンテナを張っておくことで自分の欲しい情報も手に入るのだと思います。

私の大学の先輩でもあり、シンガポールで経営コンサルタントをされているAさんという方がいますが、この方こそ人脈の作り方、活かし方が上手な方。彼の記憶力の素晴らしさや細かい心遣いは本当に勉強になりますし、何よりもマメな方なのです。「川村さん、この間話していた○○の件、こういう情報があるんだけど・・・こういう人がいるんで紹介したいんだけど」と実に気さくにお電話を下さるのです。勿論、そのひとつひとつが具体的なビジネスに繋がることばかりではありませんが、私の仕事を応援してくださるお気持ちがひしひしと感じられます。 Aさんが私の力を必要とする時が来るのかどうかはわかりませんが、そうなったら全力で応援させていただきたいと思えるのです。

最近、東京の提携先のエグゼクティブサーチ会社と話していた折、「海外勤務経験者が日本国内で就職する際に切り札となるものは?」という質問をしたら、「ビジネスレベルの英語力、現地事情の知識情報そして人脈」という答が返ってきました。

それは勤務先が変わっても変わらず情報網として使え、ビジネスに役立つ人脈ということです。仕事の中で出会う多くの人々。そうして出会った方々をどれだけ自分個人の人脈にまでつなげることができるか。

ただ、「その人を知っている」だけでは「人脈」とは呼べない。
冷たいようだけどこれがビジネスの世界の現実です。

人と関わる仕事をする中で、流されずに一人一人ときちんと向き合って仕事していく。そうした地道な仕事の中で本当の人脈というのはできてくるのかな、と。

人と関わる仕事をする私の「人脈学」。
エラそうなことを書いても自分こそがそこに至っていないことを日々反省する毎日です(笑)。


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わっ!サイトが消えた!

8月下旬に更新したきり、忙しいことを理由にすっかり当社・プライムサーチインターナショナルのホームページ更新を怠っておりましたワタクシです。

さて、今日はシンガポールの日本語メディア・アジアエックスさんのホームページ「エージェント紹介」に登場させていただきましたので、久しぶりに自社のサイトもこれをネタに更新しようかと思いきや・・・

元々こういうことが器用にやれる性質ではなく、これまでも何度も「よし完了!アップロード〜っとお、あれ画面変わってない・・・(唖然&沈黙→数回のトライの後、撃沈→サーバー管理会社に泣きつきの電話)」をやってきた私ですが、それでも練習(?)のかいあってここ数ヶ月は東京の管理会社に泣きつきコールをすることもなく平穏に来ていたのです。

が、2ヶ月も更新さぼっていたので手順もすでにうろ覚え。
見慣れないメッセージが出てきたのに、よく読みもせず、まぁとりあえずとYESやらOKやらを選択し、Let's see・・・などと悠長に構えていたのが運のつき。

日本じゃそろそろ終業の時間になりつつある夕方、
「シ、シンガポールの川村ですっ!あのっ、あのっ、うちのサイトが消えました!」
とウェブ制作&サーバー管理をお願いしている東京のランドサークルさんへ久々の泣きつきコール。

本当に消えちゃったのですよ。
そのサイトは存在しません、と非情なメッセージを前に茫然自失。

今日はアクセス多いかな〜と思っていた矢先のハプニング。

いやいや、しかしさすがはプロ。
落ち着いて対応してくださいました。
で、ものの数分後にちゃんとUPされているではありませんか。
ただし、最後にランドサークルさんに更新のお手伝いをお願いした2月から今日に至るまでの更新分は完全に飛んでしまったようです。まぁ、その間は自分で更新していたのでちょうどその分が消えたというか・・・

教訓「見慣れないメッセージが出てきたときに不意に、試しにYESを選択することはやめましょう」。何にでも好奇心旺盛(?)なワタクシが招いた今日の悲劇。

さて、ということで、ASIA Xさんのホームページでの紹介記事はこちらよりどうぞ。

エージェント紹介・プライムサーチインターナショナル

ありがとうございましたということで、ちょっと宣伝。
株式会社ランドサークル
当社のホームページはここでお願いいたしました。



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私のキャリア半生記(転勤編)

1999年7月。
私の在籍していた会社は欧米の大手同業他社を買収し、念願のグローバルカンパニーになりました。社名からもASIAが消え、記者会見とレセプションがインターコンチネンタルで華々しく開かれ、数か月前にシニアマネジャーに昇格した私はマネジメントの一角としてその席に座りました。

つい先日まで会社で会ってもお行儀よく挨拶するだけの相手のBIG BOSSが並ぶ中、私なんて場違いだなぁと思いつつもおろしたてのスーツでわくわくドキドキ・・・眼だけはキラキラさせていたように思います。

しかし常に買収の裏には早急な合理化が必要になります。同じポストに2人は要らないので各拠点で買収した会社された会社いずれの社員がそのポストにとどまるか、本人の能力や経験とともにグループ全体の構図を見ながらの人事調整をしなくてはならないのです。

ここが外資のドライなところで、必ずしも買収した側の社員が有利になるとは限らない。もちろんそれが大半の例ではありますが、そもそも優秀なリソースを持つ会社だから買収をしたわけで、ならば優秀な人材には活躍の場を残し自社の社員を他へ回すのも戦略のうちでした。私が業務上深くかかわる東京オフィスもその対象にありました。

8月のある日、突然上司に呼ばれた私は東京の組織再構築のミッションを負うことになりました。

社長室にには上司であるジェネラルマネジャー他、数人の役員が顔を揃え、これを機会に東京オフィスの人事考査、2社が抱えているそれぞれの顧客との契約内容の総点検と合理化、各契約に基づきオペレーション業務の合理化と再構築を行うというミッションの内容を説明いただきました。

「東京へ転勤してもらいたいがシンガポール本社には戻ってきて欲しい。ただ、東京の次期ジェネラルマネジャーが決まるまでの1年間、長期出張という形で東京に行って欲しい」

この辞令はまたまた私をワクワクさせました。組織を動かす最初のマネジメント経験になるからです。それがどれだけ大変なことかも知らずに・・・無知な自分ならではの大胆さを持って即座にYESと答えました。社長は一瞬あっけに取られた顔をしましたが。

「で、赴任の時期は?」
「来週にでも」
「はぁ〜?」というのはこの日、既に木曜日だったからです。
来週って4日後じゃない・・・今度はこっちが唖然とする番。
すると手配よろしく人事のGMが赴任に関する諸規定をまとめた書類を広げました。

「毎月1回は本社の会議で出張になること(もちろん移動は週末を犠牲にする・・・)。だからシンガポールの部屋は借りたままでいいわね。二重の家賃は申し訳ないから東京での住まいは用意するわ。シンガポールの給与は今まで通り。赴任手当という名目で東京での生活費補助を円建てで出します(これが驚くほど少ない・・・)。引っ越し荷物?30キロまでチェックインできるんだから赴任時に持って行って。引っ越し業者を頼む必要はないわ(おいおい、日本のマンションは家具もカーテンもないんだぞ)。引っ越し先は着いてから探してね(当たり前だ。週末入れても4日しかない)。一応、不動産エージェントの連絡先は今日渡します(でも電話番号だけだった)。来週いっぱいはホテル暮らしでいいけど、次週にはマンションに入居してね(ハイ、最大限努力させていただきます)。」

再び唖然・・・合併後バタバタしている東京のスタッフに身の回りの世話まで頼めないことはわかっていました。シンガポールの住まいも毎月3週間以上留守にするには家賃が高すぎる。とりあえずあと3日で荷物まとめて一旦赴任して来月の出張時にシンガポールの部屋を解約してどこか1部屋借りてそこに荷物を移し・・・東京の不動産屋へは今日にでも希望条件を送って事前に見繕ってもらおう・・・それから、それから・・・

視線が宙に浮いた私の前には上司のGMがにっこり。
「じゃあ来週からの仕事の打ち合わせするね。私のオフィスに来て」
オフィスに入るなり買収先の持っていた契約書のコピーが数冊のファイルに。
「これ、行く前に一応目を通してわからない点は私に確認して。東京に着いたら最初の1週間は営業担当者とお客様を回って今回の合併についてしっかり説明してね。あ、もうアポは取り始めてるって言ってたっけ」

私「あのぉ、家探す時間とかありますか?」
上司「うん、半日ぐらいでまとめてやって(そ、そんな無茶な。下見せずに決めるのか?)」
私「あ、でも家具とか電化製品とか買わないとならないですから」
上司「まあ何とかなるよ。たった1年のことだし(いやそういう問題じゃないんですけど)」

まあ実際、赴任の時期に一番苦労したのは日本の事情に全く疎い本社が家賃負担をしたために、いちいち本社人事にかけあわなければならなかったことでした。

「なぜ礼金などという不可解なものがあるの?アナタ、騙されてるんじゃない?」「なぜ敷金が2か月分もいるの?」
「仲介手数料は借手負担?あり得ないわ!」
に始まって
「どうして支払が現金でなきゃならないの?札束持って移動中に盗まれたらどうするの?」
という気が狂いそうなナンセンスなやりとりを数日にわたりしなければならなかったことです。

改めて家具・電化製品つきがスタンダードであるシンガポールのコンドミニアムがうらやましくなりました。

家具がない、カーテンもない、というマンションが日本は大半であることを彼女はついに理解できなかったようです(あるにはありますが、広尾・家賃120万円とかです・・・そうメールしたら完全に無視されました)。

でも、人間やろうと思えばなんとかなるものです。
私は翌週の水曜日の早朝便で東京に向かったのですから。
複数のやるべきことが雪崩れ込んだ時、即座に優先順位をつけ反射的に体が動く。
その点はちょっとうまくなったのかもしれません。
ただ、ここでも7時間のフライト中はひたすら爆睡でした。

私にとって3年ぶりの日本での仕事でした。



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私のキャリア半生記(キャリア編)

さて、実に半年ぶりになってしまいました再び“人生のリスクヘッジ”シリーズです(別にそんなに大それた内容にするつもりはないのですが・・・)。今回から2回に分けて、なぜ私がPR(永住権)を取得するに至ったかについて書きたいと思います。

最初に入社した会社でのキャリアはいたって順調でした。マーケティングのAssistant Managerとして入社しましたが、半年間の予定だった試用期間は実際には3か月に短縮され、その時点でお給料は500ドル上がりました。会社の成長期にあったこと、直属の上司が1年後に退職したことなどが重なり、入社した翌年末にはManagerに昇格。その段階でまた1000ドル上がりました。その後、3年目にSenior Managerに昇格、数ヶ月後に東京支社のGMが退職したこともあり、GM代行として東京に半年余り駐在。4年弱の在籍期間に給与は入社時のほぼ倍にまでなりました。Senior Managerとなってからは管理職だけの特別ボーナスなどもいただいていましたので、経済的にはかなり楽になり、2年目からはルームシェアを卒業してイーストコーストのコンドミニアムで一人暮らしを始めました。

ただ、仕事は常識では考えられないほどタフでした。昇給してもそれを使って楽しむ暇がない。大袈裟ではなくそういう生活が続きました。当時はまだ土曜日出社という会社がシンガポールにもたくさんあり、私の会社はようやく週休2日になった頃でしたが、私は土曜日はもちろん日曜日の大半も自由意思で出社して仕事をこなしました。やればやるほど上司から仕事が回ってきます。幸い、「押し付けられている」という感覚はなく、やればそれだけ評価につながる実感があったのが嬉しかったことを覚えています。ですから誰のためでもなく自分のために進んで仕事は引き受けました。それに同じように週末出勤している社員はやはりキャリア志向の人たちが多かったようで、社内の情報交換のネットワーク構築にも役立ちました。

職位が上がるたびに自分のやっている仕事が会社全体の戦略にどのように作用しているかが見えてきます。それがモチベーションの原動力だったと思います。それだけに「部下に仕事を任せるときは、それが全体にどのように影響するかをわからせる」ことが重要だと思いました。これは当時の上司の人の使い方(語弊のある表現ですが)が巧かったということです。表面的な言葉でほめてもらうことよりも、私にはこのやり方のほうが効果がありました。その結果として昇進や昇給など、目に見える評価が常にあったことも重要でした。

シンガポールに本社のある会社でしたが、私の居た期間はちょうど世界中の同業他社を買収して規模拡張を図っていた時期で、どんなに働いてもまだ人が足りない、結果的に出張などに制約がなく動ける社員にはどんどん仕事が降ってくる状況でした。

私は当時、中国から日本を含みオーストラリアまでのマーケットを担当していたのですが、それに北米とヨーロッパが加わりました。今でも思い出すのは、早朝、シドニー出張からシンガポールに戻り、一旦自宅でシャワーを浴びてすぐ出社。夜の7時過ぎまでオフィスで仕事をし、また一旦自宅でシャワーを浴びて夜11時半のエールフランスに飛び乗ってパリに出張したことです。現地時刻の早朝6時にパリに着き、そのままオフィスが回した車に乗って9時にパリ支社に出社。10時半には現地のお客様とのミーティングに出ていました。「いったい何時間起きているんだろう」「最後にベッドで眠ったのは・・・そうだシドニーだ、シンガポールじゃない!」。さすがにエールフランスの機内では爆睡状態で、ついに離陸の瞬間も覚えていませんでした。着陸時の衝撃で目が覚め、空港内の化粧室で顔を洗いメークをして、空港ロビーで待っていたドライバーに元気よく「ボンジュール!」とやっていたのですから、つくづく若かったのだと思います。

急な出張に備えるために常に自宅にはスーツケースが口を開けていました。ひとつの出張の荷物の片付けが済まぬうちに次の出張が入る。そんな日々でした。

「社費で旅行ができていいね」そんなことを影で言う同僚もいたのですが、にっこり笑って気にしないことにしました。実際、出張が入るとその前後に仕事がしわ寄せになります。それを回避するために、私は週末出勤し、出張の移動には週末を使いました。そのような移動時間は手当なしでしたが“時間で給料をもらっている意識は持つな”と考え、仕事の生産性を第一に考えました。結果的に報告書やアドミ関係の書類はフライト待ちの時間や機内で作成することがほとんどでした。

日本の友達がシンガポールに来た時、「貴女が一番詳しい場所に連れてって」と言われ、冗談ではなく「空港・・・チャンギのターミナル2」という言葉が浮かびあがって苦笑した思い出があります。

「このまま出世街道まっしぐら〜」
日本のマーケットでの主要な顧客をすべて担当し、それがなくては数字上ではこの会社のジャパンビジネスが成り立たない。自分がいるからこそ、ジャパンビジネスが存続しているのだ。愚かにも浅はかにも心のどこかでそんな思いが募っていた毎日でした。周囲を見回しても毎年昇進した人はおらず、若かった私はそんな自分が後年その会社を去らなくてはならないことなど予想すらできない状態でした。

そして私は東京オフィスのAssistant GMとして意気揚々と1999年8月、東京に向かったのです。そこで私は究極にドライな会社というものの存在、そして真のリーダーとはどうあるべきかについて己の未熟さを知らされることになったのです。

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地頭と品性

遅ればせながら日本でベストセラーとなった「女性の品格(著・坂東眞理子)」を読みました。

品格とか品性という言葉はお高くとまった印象を与えがちな言葉ですが、実は日常生活の端々に表わされるものなんですね。この本も自分をどう見せるかという安易なハウツー本ではなく、自分の人生を真に豊かに送る方法、生きることへの矜持について深く考えさせられる内容でした。

一方で冷静になってみれば「人として当たり前」なことが書かれているこうした本が爆発的に売れた背景には、品格の欠けた日本人が増え、そうした状況に流されつつもどこかで「これではいけない」と危機感を持っている人が多く存在することを物語っているのではないでしょうか。

先日、ある企業のマネージングディレクターの方とお話していて、ふと訊かれた質問がありました。
「人を採用する上で普遍的に重要な基準とは何ですかね」と。
そのご質問に対して私は「知性と品性」とお答えしました。

「知性」これは学歴とは無縁のIntelligenceのことだと思います。

確かに高学歴の方とくに有名大学の卒業者は10代という若年期に「一定期間である水準の学力を蓄える」ことを試され入試を突破しているので、効率的に学習する能力(というかノウハウ)を持っている人が多いのは否定できません。でも、与えられた環境の中で手探りで問題解決を図っていくことが出来るかどうかは、必ずしも学歴に由来していないと思います。

一言で言えば「地頭の良い人」。

持てる常識を駆使し、論理的に物事を整理し問題解決を行うことができる。また失敗を予知するだけの想像力を持ち、それを未然に防ぐことができる。結果的に失敗しても原因の分析ができ、それを次に活かせる人。つまり「自分で自分自身を伸ばせる人」。

もちろん常識があることは重要です。以前の上司が言っていたのは「経験がない人間の唯一の武器は常識だ」という言葉を思い出します。仕事が他人や社会との接点を持って行われる以上、「常識」というのは共通のランゲージだと思います。「常識が通用しない人間」を相手にすることは、英語しかわからない相手にギリシャ語で話すようなものだと思います。経験がないからこそ(ないものは仕方ないですからね)自分の持てる常識の範囲で判断して問題解決をしていく必要があるのでしょう。

同時にそれ以上に必要なのは「品性」なのではないでしょうか。

いろいろな英訳がありますが、あえて選べばEleganceということでしょうか。Graceという単語も的を射ていると思います。これは身なりを必要以上に整えたり、取ってつけたような立ち居振る舞いすることではありません。相手の立場を理解できるだけの想像力を持ち、利己的になったり相手に迎合したりするのではなく、Self-confidenceを持って自然にそして対等に関係構築してゆくセンスだと思います。

これが試されるのは「相手に対し言いにくいことを言う時」ではないでしょうか。相手が喜ぶとわかっていることを伝えるのは簡単です。でも、仕事をしていると相手に取って耳障りなこと、伝えたら落胆されることも言わなければならない時があります。それをどれだけ相手が聞き入れてくれるように伝えることができるか?それを伝えた後、相手との距離をむしろより近いものにすることができるか。これは自分の品性を試される契機だと思います。

応募者の方にありがちなのは仕事を紹介してもらうまでは低姿勢なのに、面接などで期待した結果が出なくなったとたん何の連絡もなくなること。また、オファーは出たけれど入社を辞退したい場合、再三連絡を取っても知らんふり、ということがたまにあります。

反面、「このたびは自分の実力不足(あるいは他に理由があった場合はそれをストレートに伝えれば良いでしょう)でせっかくのチャンスを活かせなくて申し訳ない。これを経験として今後もチャレンジを続けたい」など胸の内を明かし、求人企業へは時間を取ってくれたことの御礼、紹介会社へもその労をねぎらうようなメッセージを送ってくる方もいます。

また、辞退するにしてもその理由をはっきりと述べ(論理的に説明がつかなくても「どうしても気が進まない」というのもそれはそれでひとつの理由です)、うやむやにしているうちに相手も忘れてくれるだろうという甘えた姿勢を取らないプロフェッショナルな姿勢の方もいます。実際、丁寧なお礼のメールを受け取った求人企業の採用責任者から連絡があり、「彼の人間としての品性を高く評価する。今回のポジションは不適任だったが、まもなく●●のポジションでの採用を考えるから彼をその候補にしたい」というお返事をいただいたこともあります。結果的にその方はそのポジションでの採用が始まる前に瞬く間に他の企業数社からオファーを受け、そのうちの1社で今も活躍されています。シンガポールに出張に来られるたびに今でもご丁寧に声を掛けて下さる方です。

東京勤務時代、フォーチュン100に連なる企業がクライアントの大半でした。こうした大企業のアジアパシフィック統括などのシニアポジションにいる方々とクライアント、候補者の両側面でお付き合いがありました。多忙を極めながらも、そういう方々の多くがこうした品性ある対応ができていました。きっと部下の方にもそうした対応をしているのだろうなと感じたものです。人を使う、いや「動かす」ことの真髄が分かっているのでしょう。

その昔に観た「ワーキング・ガール」という映画の中でシガニー・ウィーバー演じるキャリアウーマンが “Oh, I never burn a bridge”と言っていたセリフを思い出します。「橋は焼かない」と。どこでまた顔を合わせ世話になるかもしれないから。都合が悪くなってくると逃げ隠れする子供に対して、これがビジネスシーンでのあるべき大人の態度ではないかと思います。

アメリカ第35代大統領ジョン・F・ケネディ著のProfiles in Courageという本の中の言葉。

“Grace under pressure”

日々の仕事に忙殺される中、その言葉の意味を忘れずに過ごしたいと思います。
以上、自戒の念をこめて・・・


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地球温暖化とシンガポール

前回の更新からなんと2ヶ月半が過ぎてしまいました。
ただいま猛反省中の私です。
言い訳になりますが、とにかくこの2ヶ月半は殺人的に忙しかったのです・・・

6月はお隣のマレーシア(クアラルンプール)とタイ(バンコク)に、そして先々週から先週半ばまで猛暑の東京に出張しておりました。

東京で訪問先に伺う度に「日本は暑いですね」と言って大笑いされたのですが、別に笑いを取るつもりはなく、本当にシンガポールと比べても東京の暑さは格別だったのです。

南国とは言ってもシンガポールは陽ざしこそ強いものの風が吹いていますし、夕暮れ時や早朝は本当に爽やかな風が吹きます。私のオフィスのあるラッフルズプレースは海に近いこともあって、夕暮れ時などは潮の香がすることもあるくらい。オフィスのある26階のバルコニーに出ると朝晩は涼しすぎるほどの風で、あの東京の蒸し蒸しした空気とは全く異なるのです。

省エネはこちらでも課題にはなっているものの、オフィス内は本当に「寒い」ほどエアコンが効いています。朝、出かけて帰ってくるまでスーツのジャケットを脱がない日も多いんですよ。

省エネについては最近こちらでも電車内の広告で政府が呼びかけていますが、シンガポール国民としては「削減といってももともと小国だし、それほどの影響力があるとも思えない」と考えている向きも多いようです。

ただ、先日、Singapore Business Federation(日本の経団連のような団体)の上の方が仰っていましたが、ここの空港はHUBなので24時間3つのターミナルから離発着がある。航空機の排出するCO2だけでもかなりの量なのだそうです。

ということでシンガポールも他国同様、地球温暖化に向けての取り組みは本気でやらなければならないとのこと。

ただ、以前読んだリー・クヮン・ユー回顧録(建国の父・リー・クヮン・ユー)には、建国の際、まず取り組んだのがオフィスの冷房だったと書いてありました。冷房が完備していないため、日中の仕事は効率が落ちていた周辺国を見て、彼はまず国中を冷房完備にしたとのこと。あれから40年余。シンガポールももう新興国ではなくなったということでしょうね。地球全体を視野に入れた経済活動を求められる時代に入ったということなのでしょう。

8月9日は建国記念日。
街中だけでなく住宅地にも国旗が目立つようになりました。
今年の首相のスピーチには環境問題も盛り込まれることでしょう。


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