国際都市シンガポールで暮らすコンサルタントの異文化日記

アジアの玄関シンガポールに暮らして20年余。 海外就職→転職→日本(逆)駐在の波乱万丈を乗り越えてシンガポールに経営コンサルティング会社を設立。 異文化というAWAYでの戦いを日々楽しんでいる日本人女性経営者の異文化日記です。

もう7月・・・ご無沙汰しておりました。

ご無沙汰しておりました。

ここしばらくTwitterでいろいろとつぶやいておりました(Twitterは chiakikawamura で検索いただくとわかります)。Twitterは結構好き勝手なことをつぶやいておりまして、その心地よさに慣れてしまうとどうしてもブログの更新って構えてしまうようです。

それを理由にするわけではありませんが、最後のブログ投稿が今年の1月。丸々半年のブランクでしたね。にもかかわらず、コメントを送ってくださった方々、ありがとうございます。

さて、この半年はなかなか充実しておりました。

年初からいくつか大きなプロジェクトに関わらせていただきました。

ブログでクライアントの社内事情を明かすわけにはまいりませんので、だいぶぼやけた表現になってしまいますが、シンガポールの周辺国での人事プロジェクトでした。

ま、国が変わると人事のやり方もずいぶんと違うものだな、と実感した次第です。

これは当社がプロジェクトマネジメントを行い、シンガポールのコンサル会社とチームで対応した仕事なのですが、本当に良い信頼関係のもとで仕事ができたことに感謝しています。

クライアント様とご本社の方々にも喜んでいただき、シリーズで同様のプロジェクトを他の国でもいただければ嬉しいな・・・と、シアワセに期待しているところです。

会社の設立プロジェクトや、一方で戦略的見地から撤退→他拠点と統合をお決めになったクライアント様もいて、整理解雇も含めたプロジェクトも担当させていただきました。いつもながら、私情をはさまずにビジネスライクに進める必要性とともに、そこに関わっているのは生身の人間である社員の方々なので、企業側に立たねばならない立場ながらもできるだけ社員の心情を汲み取りながら対応するよう心がけました。

もちろん、コンサルタントとして企業に雇われている以上、至上命令的には会社側のリスク管理を徹底することです。日本企業はこうした局面でどうしても温情人事に傾きすぎるので、そのバランスを取り続けることが課題でしたね。

社内的には、会社設立や経理関係を担当しているシンガポール人のアドミニストレーションマネジャーもすっかり定着、戦力化して、良いチームを組んでくれています。

やりたいと思いつつ手をつけられなかったホームページのリニューアルも近日完成の予定。

度重なる入稿延期のお願いに痺れを切らさずお付き合いくださったデザイナーさんに感謝!私としては結構力を入れたウェブサイトに仕上がりましたので、楽しみにしていてください。

そして、新事業として・・・
「トヨタ式最強の経営」「なぜ会社は変われないのか」等の著者としてもよく知られている、プロセスデザイナー 柴田昌治氏との共同プロジェクトがまもなく開始されます。

過去2年近くにわたり話し合いを重ね、シンガポールの日系企業が抱える問題を共有してきました。柴田氏が設立した(株)スコラ・コンサルトにも数回お伺いし、シンガポールでの事業構築について話し合いを重ねてまいりました。

そして、組織風土改革を目指して、物事の思考回路を組みなおすプロセスデザインというアプローチをもって、約2000社の企業において「考え抜く社員」を育成してきた柴田氏がいよいよシンガポールに本格的に上陸!
当社はマーケティング、顧客開拓から実際のプロセスデザインプロジェクトの全域に関わっていく立場となりました。この仕事はシンガポールで生きてきた私にとってひとつのライフミッションになるかと思っています。
息長く取り組んでいければ嬉しいですね。

9月ぐらいには柴田氏の公開セミナーを開催したいと考えております。
詳しくは近日公開のホームページにて。

その他としては・・・
4月に休暇を取って2年ぶりにヨーロッパに行きました。
今回はイタリア。フィレンツェとローマです。
実はイタリア、行ったことがなかったんですよ。
クラシック音楽マニア(おたく)としては、ちょっと意外ですが。
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ドバイ経由でローマに入り、そこから電車でフィレンツェに行きました。
フィレンツェから日帰りで斜塔で有名なピサにも行きました。
滞在は8日間。いつも通り、ひたすら美術館に通い、お天気の良い日は公園でのんびり読書するだけの毎日。
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でもそれが至福の時でしたね。
3週間ぐらい前に急に仕事の調整がついて、いつも通りの思いつきで「じゃ、行くか・・・」。
相変わらず思いつきで出かけていますので、今回は演奏会の良いプログラムに出会えず、それだけが心残りでした。

ローマ国立歌劇場のすぐ裏手のホテルに泊まりながら、演目がなく人のいない劇場を外から眺めただけでした。
(思えば2年前、ベルリンでも同様の失敗をしています。クラシックの殿堂ともいうべきベルリンフィルの本拠地では・・・トイレを借りに入っただけでした。だって、6月はもう夏休みで大したプログラムがないんだもん・・・)

イタリアという国はどちらかというとシステムがしっかりしていなくて、英語もあまり通じないし、駅の窓口は常に長蛇の列だし、旅行者としてはいろいろと苦労させられる国なのですが、それを上回る魅力がありますね。

食事はおいしいし、芸術的資産は他の国が逆立ちしても追いつかないものがあります。
ただ、ちょっと広すぎたかな・・・特にローマは。

次は・・・実はクロアチアに行きたいんですよ。
東京の八重洲に日本で唯一のクロアチア料理店がありまして、そこでいただいた資料を見て感動してしまったのです。

ま、こういう完全な休暇はせいぜい2年に一度。
あとは、出張の前後に1日2日自由時間を取る程度です。

まとまりなくなりましたが、これからはTwitterだけではなくブログも頑張って更新していきたいと思います。




シンガポール政府観光局に取材いただきました

新年あけましておめでとうございます。

気付くと1月ももう半ば。
新年あけまして・・・ではないですよね(笑)。

シンガポールの新年の祝日は元旦のみですから、今年のように週末にかかってしまった場合は本当に「いつも通りの週末」でした。

それでも自宅の大掃除がしたくて大晦日はお休みし、元旦の土曜日は午後から出社しておりました。

年末年始はフライトが混むし、実家への帰省は出張時にしておりますので、この15年間この時期に帰国したことはまずありません。それはそれでまたリラックスした良いお正月でした。

さて、12月にシンガポール政府観光局より取材依頼がきて、メールマガジン「マイ・シンガポール〜シンガポールの達人に聞く〜」に掲載されました。

「マイ・シンガポール」シンガポール政府観光局メールマガジン

こうしてみると改めて私はシンガポールが好きなんだなぁ、と思います。

今年は年女!
文字通り「飛躍の年」にしたいと思っております。

本年もよろしくお願い申し上げます。


川村千秋

レファレンスとは?〜個人情報保護の見地からその取扱いについての一考察〜

転職に限らず、まずほぼ無条件に相手を信頼するところから始まる日本人の感覚では考えにくいことですが、私が知る限り基本的に海外では「信頼に足る理由」が得られない段階では相手を疑うところから人間関係が始まります。

疑うというのが少々行き過ぎた表現であれば、「注意する」「警戒する」という程度でしょうか。

最近は転職が一般的になってきた日本でもそうでしょうが、海外または日本でも昔から中途採用が一般的であった外資系企業においては、採用までの過程に必ずレファレンス(Reference)と呼ばれる身元照会を行います。

これは、履歴書に書かれていた過去の在籍記録や退職理由に偽りがないか、人物的にはどのように評価されていたのか等を確認する、採用側にとっては重要な手続きです。

と同時に、見も知らずの社外の人間がかつての社員についてあれこれと問い合わせてくるのですから、そうした問い合わせを受ける側も慎重な対応をする必要があります。

先日、あるクライアントのオフィスで「レファレンスと個人情報の保護を両立させる方法」についてアドバイスを求められました。外資系企業勤めが長かった私にとっては正直、日本の大企業でこのようなプロシージャーが確立していないことは驚きでしたが、その後、折にふれ訊ねてみると、シンガポールにおいてはどちらの企業でもさほどしっかりと確立していないことがわかりました。

よくわからないからとりあえず上司に電話を渡す、などであればまだ良いのですが、上司や人事部の知らないところで、問われるままにその電話を受けた社員が個人としての見解を述べていたとしたら大問題です。

日本ではこれまで中途採用という形態が比較的少なかったこと、学歴、職歴などに虚偽の情報を載せるなどあり得ないという、当初から相手を信頼する文化があること。これらも日本人の良い面である「相手を信頼する」文化の一端であり、そうした中に長くいるとあまり意識せずともいられるのですが、多様な価値観が混在する海外ではひとつしっかりしたプロシージャーを作っておく必要があると実感した次第です。

ちなみに我々エグゼクティブサーチコンサルタントは、大学以上の学歴の卒業証明書は必ず現物を確認します。「卒業」か「中退」か、はたまた単に「聴講生」レベルの在籍か(ちなみに「聴講生」は学歴としてのカウントには入りません)。

社会に出て何年もたったキャリアのある人を前に、今更、大学で「学位を取ったかどうか」など私個人は大した意味を持たないと思っています。しかし、クライアントに代わって人物選考をする立場であることを自覚すれば、おのずとこうした確認作業に手を抜くことはできないわけです。この段階で学歴詐欺が見つかれば、それだけでも人物的な信頼を欠くことになります。当然、クライアントへの報告書にもその点が記載されてしまいます。

レファレンスについて一例をあげれば、私が過去に在籍していたシンガポールの会社では、以下の社内規約がありました。

1.電話を受けた者は相手の社名、所属部署、役職、名前、連絡先電話番号、問い合わせ目的を控えた後、「人事部よりお返事いたします」とだけ伝えて、電話を受けた社員は一切何も情報を渡さないこと。

2.人事部がその連絡先電話番号あてに電話し、相手がこうした問い合わせをするのに正当な立場にいる人間かどうかを判断した上で(虚偽の電話番号や不当な立場での問い合わせなどであれば、この段階でオミットされる)問い合わせ内容に対して答える。人事部としては、在籍期間、昇進の経緯、退職理由、退職日、自己都合退職か会社都合または懲戒免職であったのか、という点に対してのみ答える。

3.人物評価については、直属の上司から答える。

これ以外の対応をしてはならないという厳密な規定が設けられていました。
つまり、突然にかかってきた電話を受けた社員が具体的なコメントをすることは一切ありません。
また、これはシンガポール本社だけではなくグローバルな社内規定でした。

問い合わせ理由を具体的に聞き出し、基本的に転職の際のレファレンス以外の問い合わせは不当な問い合わせである可能性もあるとみなされ、通常以上に厳密な対応をしていました。勿論、警察や裁判所のような国家権力的立場からの問い合わせであれば別ですが、それであっても人事部→マネジメントという流れは変わらないものでした。

会社では様々な人間関係が発生します。優秀な社員ゆえに引き抜かれて転職した人物に妬みを持ったもと同僚がこのような電話に応対したらどういう結果になるでしょうか。最悪の場合、客観性に欠けた恣意的なコメントを発し、新たなキャリアに進もうとする元社員の行く手を不当に阻むことにもなりかねません。このようなことが後日発覚すれば、場合によっては辞めた社員から訴えられることもあり得るわけです。個人情報の不当な流出にもつながるのは言うまでもありません。

会社側のリスクマネジメントの見地からも、レファレンスに対してはしっかりと規定を設けておく必要があると思います。

と同時に、在籍しいつかは退職日を迎える社員各人も、後日こうしたレファレンスをされても困ることのないように在職中からプロフェッショナルな態度で日々を送ることが大切だと思います。

それさえ守れば、退職後も以前の会社の上司や同僚とも関係維持ができますし、様々なビジネスシーンでお互いに重要な人脈として存在し続けることができます。

コンプライアンスという概念は、こんなところにも見出すことができるのです。

快進撃を続ける日本企業 〜WineForAsia2010 Gala Dinnerの夕べ〜

10月は7日から12日まで4年ぶりにドバイに行ってまいりました。
中東では金曜土曜が週末ですので日曜からは仕事でしたが、到着日と翌日は久々に仕事を忘れて休暇を楽しみました。

地上124階の世界最高のビル、バージュハリファに登ったり、1200店舗が入るThe Dubai Mallでショッピングを楽しんだり、夜はクルーズ船でディナーを楽しんだり・・・写真も沢山撮りました。が、ドバイのお話は次回のブログでご紹介するとして、今日は暗中模索の日本経済を尻目に快進撃を続ける日本のベンチャー企業のお話をしたいと思います。

シンガポール進出を足場にして世界へ羽ばたこうとするベンチャー企業は数あれど、掛け声だけが先行している雰囲気も感じられます。そんな中、着実にシンガポール進出を事業化し、周辺国も含めた次の一手を打ち始めた日本企業をご紹介しましょう。

当社のクライアントでもあるトレードショーオーガナイザーズ株式会社。30代の社長が率いる若い会社ですが、産業展示会の開催件数ではすでに日本のトップクラス。このご時世の日本経済の中、飛躍的に継続成長を実現している企業です。

前回のブログでもご紹介しましたが、このたびシンガポールの大手イベントプロデュース企業グループであるPICO Group傘下にあるMP International Pte Ltdと合弁会社を設立されました。来年からはシンガポールをはじめとする周辺国で来年からOishii JAPANというブランド名で日本食の総合展示会の開催を予定しています。

当社はこのJV設立に際して包括的なビジネスコンサルを提供させていただき、まさに、クライアントと共に成長させていただくコンサルタントとしての醍醐味を味わわせていただきました。契約締結までのプロセスに細かくコンサルタントとして関与し、JV設立決定後はマーケティング展開、基幹職人材の紹介・・・この数か月はこれらの仕事で本当に忙しかったのですが、多くのことを勉強させていただきました。

日本の会社でありながら日本に居続けることに拘らず、文字通りベストプラクティスをグローバルベースで実践する。夢を語ることは誰にもできますが、それを着々と形に、それもマーケット動向を見ながら極めて短期間で成し遂げる企業はそう多くはありません。

真のベンチャー企業の強さを体感する毎日でした。

2月にシンガポールで社長、経営陣にお会いし、4月下旬には既にJV設立を決定。そこからは契約内容の詰めや事業計画の協議など、私自身まさしく当事者になったつもりで共に走り続けた思いでした。だからこそ、8月に東京ビッグサイトで行われたJVの調印式では、その瞬間ちょっと涙腺が緩くなったりもして・・・。

社長以下、社員の方々が本当に真面目で良く働く。経営トップはトップとしてのビジョンをしっかり持っている方ですし、ご自身がよく勉強されていますので、問い合わせてくる内容も実に具体的。生半可な対応では太刀打ちできませんから、そのたびに私も緊張感を持ってお答えしました。

今週はシンガポール側パートナーであるMP Internationalが毎年主催しているWine For Asia 2010 がマリーナベイサンズで開催されていますが、その中に特設会場として「酒・焼酎パビリオン」を設営し、海外進出を願う酒造メーカーを率いて早くも来年の足場固めをされています。

来年は10月にサンテックシティにてOishiiJAPANを開催。
既にJETRO、日本大使館をはじめシンガポール政府側からも応援の声があがっており、閉塞感ただよう日本市場からの脱出を願う食品・飲料・調理機材・飲食・FC業界各社にとって、大きなスプリングボードになると期待しています。

WineForAsia2010開催前夜であった昨晩は、Conrad Centennial のボールルームにてGala Dinnerが開かれました。MP International のCEOシルビア・プアさんから直々にお電話でご招待をいただき、ワインどころかアルコールはほとんど飲めないワタクシですが、大変光栄なことですので恐縮しつつも出席させていただきました。私自身のクライアントも数名ご招待させていただき、美味しいワインとコース料理を楽しみながらネットワーキングの機会もご提供させていただきました。開会のご挨拶


アジアで唯一の総合ワイン展示会であり、毎年、Wine Style Asia Awardという名で受賞ワインが選定されるとのこと。まさに世界中のワイナリーから出展者が集まっており、ハープの生演奏の中、フランスのワインコンサルタントによるレクチャーや醸造過程の紹介ビデオなど、私もほんの少しワインの奥深さを垣間見た思いでした。


開場前のカクテルでは、出展ワインが何十本(100本超えていたかも)が並べられ、「ご自由にご試飲ください」とのこと。ワインを水のごとく嗜めるワイン・ラバーの友人数名の顔が脳裏に・・・ウラヤマシイ。そもそも私は飲めない体質なのです(涙)。CEOのシルビアさん(中央)と受賞者の方々

それにしても、私が来星した14年前はワインなんてホテルのレストランにでもいかなければまともに飲めなかったのに、ホント、シンガポールのライフスタイルの進化のスピードはすごいですね。

ひとつの仕事を通じてまた新たな人やビジネスとの出会いをいただく。

社長からシンガポール側関係者に「当社のコンサルタント」ではなく「ビジネスパートナー」とご紹介をいただいたその言葉の重みをしっかり受け止めて、これからも日本からの進出企業を精一杯応援させていたただきたいと思いました。トレードショーオーガナイザーズの佐々木社長、西田常務と共に


WineForAsia2010は本来バイヤーを対象としたBtoBの展示会ですが、最終日の夕方からは一般公開されます。ご興味のある方は是非ご来場ください(入場無料)。

日時: 10月29日(金)午後6時半〜9時半
会場: Sands Expo & Convention Centre, Hall E, Basement 2

オフィス移転、そしてこの2ヶ月間のこと

大変ご無沙汰しておりました。

気付いてみたら、3か月近くもブログ更新をしていなかったのですね・・・

この2ヶ月間は当社にとりまして2つの大きなプロジェクトが進行し、大忙しの2か月でした。

まず、7月にオフィスを移転しました。
サービスオフィスも便利で良いのですが、部屋は狭いですし、週末や時間外の会議室利用に制限があることなどを考え、思い切って外で独立したユニットを借りることにしました。

5月末から物件を探して丸1か月。合計21件を下見し、家主と交渉に次ぐ交渉のバトルをくぐり抜け(笑)、ようやく決まったのが今のNeil Roadにあるショップハウススタイルのオフィスです。正確にはNeil Roadから少し私道を入った場所にありますので静かで、ショップハウスと言っても既に建物全てがオフィスに仕様変更されておりますので快適です。

ショップハウスという建物は、ペラナカン文化でよく見られる建築スタイルで、かつては1階が店舗、2階以上が住居として使われていました。今でもその通りに使っている場合もありますが、ここチャイナタウンとタンジョンパガーに挟まれたエリアでは、既に多くがオフィスに改装されています。

かつてはNeil RoadやDuxton Roadには飲食店が入ったショップハウスが多かったのですが、この地区の再開発計画が進むにつれて飲食店が退出し、オフィスになるというケースが増えています。後、1年ほどしたら大半がオフィスに変わってしまうのではないかと思いますね。

当社がこのたび借りた物件も、他のテナントは建築事務所、メディアデザイン、投資顧問、写真スタジオなどで占められています。

歴史的建造物として保護指定されていますので、外側を改装することは許されませんが、中は自由に改装できます。当社の物件も借りた時は天井、壁、床、全てコンクリートむき出しでしたので、デザイナーさんに頼んで一から設計していただきました。

Keppel Bay画像 354


大きな天窓がありますので昼間でも明るく、エアコンもユニットごとにありますので調整可能(オフィスビル勤務時はエアコンの効きすぎで苦労しました)。

私の個室はガラスで区切り、家具は圧迫感の内容に白で統一。
照明にもちょっとこだわりました。

画像 443

設計は1週間で終わり、そこから工事。これが実際には3週間以上かかりましたね。話では1週間半などと言われていたのですが(ありがちな話です・・・笑)。

その後、電話、FAX、インターネット、セキュリティロック・・・
そして家具を選んで、コーヒーメーカーや冷蔵庫も選んで・・・全て予算とにらめっこですので大変でした。

会社員の頃にもオフィスの改装は二度ほど経験しましたが、あの時は自分のチームの座る位置のレイアウトを話し合うぐらいで、後は総務担当者任せ。予算も「勝手にどこかから出てくる」ぐらいの感覚でいられたものでしたが、今回は全て自分からです。総工費は想像以上でしたので、途中何度か交渉して(というより拝み倒して)単純にまけてもらったり、材料をダウングレードしたりして調整しました。それでも当初の想定より1万ドルは余分にかかってしまいました・・・(冷汗)。
本当に大丈夫なんだろうか・・・と不安にかられた時もありましたが、とにかく入ってきた仕事をどんどんこなすことで何とかなりました。

7月末にようやく完成。
今度は月極め駐車場探しで苦労・・・オフィスビルと違って周辺のビルの駐車場に入れるしかないので、これも11件回って1か月ウェイティングリストに載って粘ってようやく見つけました。

8月は、シンガポール企業とこのたび合弁会社を設立された当社のクライアント様の大規模な展示会が東京で行われ、同時に会社設立のお披露目と記者会見も開かれましたので、それに合わせて出張。合弁事業の分厚い契約書を真夜中までレビューし、趣旨をまとめ、クライアントや弁護士さんと協議を重ねた結果の会社設立でした。

東京ビッグサイトの展示会期中に、在日シンガポール大使代理、シンガポール政府観光局の北アジア局長後見のもと、無事に合弁の調印式が行われたのを見届けた時は、目がしらがちょっと熱くなりましたね。

調印式

会期中には二つの大きなプレゼンテーションと記者会見があり、その準備も当日の通訳も務めさせていただきました。

シンガポール進出に賭ける思いを経営陣と共有しながら、まさにチーム一体となって頑張った実感がありましたね。

本当にありがたいことでした。

その間にエグゼクティブサーチ案件が2つほどまとまり、こちらでも忙しかったですね。人材の仕事は人と人との間に立っての交渉、調整が多いので神経を使います。オファーが出て入社するまで、いや、完全に戦力化するまで綿密なフォローが必要とされ、気が抜けません。それでも、その過程で毎回勉強の材料に出会うのもこの仕事です。

そんなこんなでもう9月。

これで少しはブログ更新をさぼっていた口実になったかな、と(笑)。

気がついてみたら今年は休暇を取っていませんでした。
そう、元旦もチャイニーズニューイヤーも。その頃は、日本からの出張者が中心のクライアントのプロジェクトに従事しており、出張者の方々って単身赴任だから週末も祝日も休まないんですよ〜!
で、こちらもそのスケジュールに合わせた結果です。
プロジェクト納期が厳しい仕事でしたので、これまた必死に進めましたね。

12月はお休み取りたいな・・・
そのためにもあと2か月、目の前にある仕事に全力投球します。

新しいオフィスの近くにあるDuxton Hillはとても素敵な場所です。
ヨーロッパの街の一角のような素敵な建物が並んでいます。
Duxton Hill

ここもすっかりオフィスだけになりましたが、お気に入りのレストランBROTHもまだ健在。
日本人パティシエ経営のおいしいケーキ屋さんもあります。

独立して3年。
まだまだ先は長いけれど、一歩づつ一歩づつ歩みを進めていきたいと思います。
そして、支えて下さる多くの方々に改めて感謝したいと思います。

New Address:
PRIME BUSINESS CONSULTANCY PTE LTD
No.68 Neil Road, Singapore 088836
Tel 6222 3040 / Fax 6222 4930

信念と情熱〜ピアニスト舘野泉氏にお会いして〜

前回のブログでご紹介したピアニスト舘野泉さんのピアノリサイタルが、6月1日夜、シンガポールのヴィクトリアコンサートホールで行われました。BlogPaint

それに先立ち、前日にはシンガポールの最大手新聞であるStraitsTimesの取材が行われ、通訳として同席する機会をいただきました。

舘野氏は現在73歳。芸大を首席で卒業し、「北海道生まれの母の影響か、寒い土地に憧れがあった」との一念で卒業直後にフィンランドのヘルシンキへ渡りました。当時、芸大を首席卒業すればリサイタルやオーケストラとの共演のオファーが舞い込むにもかかわらず、それらを振り切ってふらりとヘルシンキへ降り立った日本の若者は、まずは自分のピアノを聴いてもらおうと費用を自己負担して初リサイタルを行ったそうです。

結果は大成功でヨーロッパの7つの新聞で高い評価を受けたものの、アジアから何の後ろ盾もなくやってきた若手ピアニストがそのまま仕事にありつけるほど現実は甘くはなかったそうです(その準備過程で必要に迫られフィンランド語を2ヶ月ぐらいで覚えてしまったのは音楽家ゆえの耳の良さ?)。

4ヶ月して手元の資金が底をついた頃、ヘルシンキ市の音楽大学の教授が心臓発作で他界され、リサイタルの評判を記憶していた関係者から学校で教えてみないかとのオファーが来ました。それまでは教会でオルガン奏者をする代わりに宿舎と食事を提供され何とか生活していた舘野氏は、その頃にはすっかり気に入ってしまったフィンランドで暮し続ける手段としてそのオファーを受け取ります。数年で国立音楽大学であるシベリウスアカデミーの教授職に就き、その後はヨーロッパ各地での演奏会、メシアンコンクール第2位と演奏家として輝かしいキャリアを積み、1981年には外国人としては唯一のフィンランド政府による終身芸術家年金を受けるに至ったとのこと。これまでに世界各国で3000回を超す演奏会を開き、CDのリリースは100枚近く。

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実は私の家庭も一応、音楽一家。母親はピアノ教師、両親共にクラシック音楽の大ファン、叔父は高校の音楽教師をしながらかつて静岡県交響楽団というアマチュアオーケストラで指揮者を務め、従姉妹は芸大卒業後ウィーン国立音楽院でチェンバロを学んだという経歴。でも、私自身は演奏の才能はゼロだったようで、母親に叱られながらなんとかソナチネアルバムを終了したあたりであっさりドロップアウト。聴く専門となったもののやはりクラシック音楽への関心は尽きることなく、その中でもピアノは一番親しみを覚える楽器でした。

今回、当社プライムビジネスコンサルタンシーは日本航空さん、シャングリラホテルさんYAMAHAさんという大企業に並んで僭越ながら協賛企業として名前を連ねさせていただきましたが、こうしたご縁が生じる前からピアニスト舘野泉のCDは私のコレクションの中に入っていたのです。

その舘野氏、2001年にリサイタルでの演奏中に脳溢血で倒れ右半身不随になりながらもリハビリを続け、見事に第一線に復帰されました。未だに右手は演奏には使えずという状態。絶望の中で過ごしていた時期、左手のために作られた楽曲を試しに弾いてみた瞬間、「右手だろうが左手だろうが、手が1本だろうが2本だろうが音楽をするということには変わりはない」との思いが瞬間に浮かび、一切の迷いが吹っ切れたとのこと。それからは左手だけでリサイタルを開き、日本ではチケットが取れないほどの人気ぶり(今回、日本ではなかなか聴けないから、とシンガポールまでファンクラブの会員が聴きに来ていました)。

実際、聴いてみればピアノの88鍵の上すべてに彼の左手が舞うように動き、ペダリングの巧みさから音が途切れることもなく(あれだけペダルを使っても音が一切濁らないのはさすが!)、実に澄み切ったそして流麗な音色を奏でていました。ピアノはバイオリンと違ってキーを叩けばとりあえず音は出る。それだけに音色の深みを出すことの難しさは多少でもピアノをかじった人であればわかること。

そして、たしかにピアノの楽譜はト音記号とヘ音記号に分かれて書かれていますが、別に上を右手で下を左手で演奏せよとはどこにも書いていない。両手だろうと片手だろうと、そこに描かれている音楽を奏でることができれば良いわけです。

ま、これは言うのはカンタンですが、実際は舘野氏のレベルの技巧を持ち合わせている人間でなければ不可能なことなのですが。


リサイタルにはお世話になっているクライアントに加え、親しい友人も招待させていただきました。
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一応、スポンサー企業ですから開演まではご挨拶まわりに忙しく、しかし、ひとたび客席に着いてからは日常のすべてを忘れてその音色に酔いしれました。20年前に初の海外出張先となったヘルシンキ、週末に訪れた森と湖に囲まれた北欧の自然が脳裏に浮かんだ2時間でした。

お招きした方々からも、ピアノという楽器があれほどまでに深く情感を表せる楽器だったとは知らなかった、聴いている途中で思わず涙が出てきたという感想をいただきました。それはもはや弾き手の腕が1本か2本かという次元ではなく、終始目を閉じていても同じような感動を得られたであろうという芸術の域なのでしょうね。

終演後は日本大使館主催のレセプションに出席。
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いつもお世話になっているシンガポールビジネスフェデレーションCEOのテン・テンダー氏は奥様とお嬢様を同伴されてお越しになりました。奥様も不動産業界でバリバリ仕事をこなしているキャリアウーマン、お嬢様は慈善事業に従事していらっしゃる素敵なご一家です。山中シンガポール大使ご夫妻、Keppel GroupのCEOなど政財界の方々とも親しくお話しさせていただく機会を頂戴しました。

その後は大使館、主催者LaMuseの代表の方々と共に、舘野氏と共演の平原あゆみさんを沖縄料理にお連れして深夜までくつろいだ時間をご一緒させていただきました。沖縄料理と泡盛、先生は大変楽しまれたようです。舞台を降りると舘野先生は気さくで楽しい73歳のおじいちゃまになって、これまでに演奏旅行で訪れた国々のお話しを楽しそうにされていました。

5月28日の到着から約1週間、到着翌日のランチ、日曜日の植物園での無料コンサート、ストレーツタイムスの取材、リサイタル当日、そしてリサイタル翌日はインフルエンザにかかってしまった先生と平原さんを日本人クリニックにお送りしたり、と多くの時間を共有させていただきました(そしてその間に多くのビジネスネットワークも築きました!)。

音楽を語られる時には、いつもの穏やかな眼差しから一瞬意志の強い芸術家の眼差しになるのですが、一貫して感じたのは「音楽をする」ということにかけての信念と情熱。「音楽が僕を生かし、僕が音楽を生かしている」という言葉通りに、その人生においてぶれることのない信念と情熱を持ち続けている素晴らしい芸術家でした。と、同時にオフステージでは飾らないお人柄で、つくづく「この方にとって音楽をする、ということ以外は何であっても実にどうでも良いことなのだ、と実感しました。その「抜け感」もまた素敵でしたね。一芸に秀でた天才はそれ以外の分野にはこだわらないのでしょうが、まさにその通りでした。

何かを成し遂げようとする時に必要なものは、どこまでいっても「信念」と「情熱」なのだと、改めて学ばされた1週間でした。




舘野泉ピアノリサイタル(6月1日@Victorial Concert Hall)

20代の頃、毎年フィンランドのヘルシンキへ行く機会がありました。私の初めての海外出張先はヘルシンキ、いやもっと言えば最初のヨーロッパ上陸地点がこのフィンランドのヘルシンキだったのです。

26歳の9月、当時はFinnAirでしか飛べないシベリアンルート(欧州便はアンカレッジで給油の時代)で到着したヘルシンキ。深い森の中にひたすら突っ込んでいくような着陸でした。

ヘルシンキ港に面したカウパトリ(朝市)でコーヒーとデニッシュペストリーをつまんで、おやつ代わりのブルーベリーやボイズンベリーを買ってオフィスに出勤。9月というのにもう晩秋のような冷たい風、真っ青に晴れ渡った空と海。上空を飛び交うカモメたち。

シベリウスの交響詩フィンランディアそのものの澄み切った空気。その後、訪れた英国、フランス、スペイン、ギリシャ、ドイツ、オーストリア、スイスや東欧の街々とも異なる、よどみない空気に包まれた国。それが私にとってのフィンランドでした。

そんなフィンランドとは緯度も気候も文化も全く異なるシンガポールに、なぜか私は住んでいます。

アジアの国々は大好きだけど、時折、無性にあの冷たく透明な空気がなつかしくなります。

そんな折、知人が主催する会社が1960年代の後半からヘルシンキに在住するピアニスト、舘野泉氏のシンガポール初公演の企画運営をする話を聞きました。イズミ・タテノは当時のフィンランドでも既に有名であり、またクラシック音楽界においても既に確固とした地位を築いている音楽家でいらっしゃいます。フィンランド政府からも終身芸術家手当を支給されているほどの地位にあり、北欧に長く根付いて演奏活動を続けてこられたそうです。

数年前、脳溢血により右半身不随となりながらも、不屈の精神で2年間のリハビリを乗り越え、その後は左手だけの演奏で見事に第一線に復帰されました。CDを聴きましたが片手での演奏とは思えないほど流麗なピアノでした(両手満足にもかかわらず、ソナチネの後半でドロップアウトした自分が情けないです・・・笑)。

フィンランドへの思い、長年のクラシックファンとしての思いから、ささやかながらもコーポレートスポンサーとしてPrime Business Consultancyもご協力させていただくことにいたしました。

今週土曜日にはストレートタイムスの取材と写真撮影も入り、ボランティアの通訳としてお手伝いをさせていただく機会もいただきました。

目を閉じるとカウパトリの上空を海鳥が舞う青い空が浮かんできます。カウパトリ広場から続く階段を上った大聖堂から眺めるヘルシンキ港を見ていると、ちっぽけな悩みなど吹き飛んでしまう壮大さを感じたものでした。

この南国で、あの舘野氏と直接お会いし演奏を聴ける機会をいただいたことに感謝しています。6月1日が本当に楽しみです。

皆様、よろしければ是非、いらしてください。
会場でお会いいたしましょう!

コンサート情報は下記よりどうぞ。
http://www.lamuse-singapore.com/ja.html

プライムビジネスコンサルタンシーが誕生いたしました

皆様、ご無沙汰しておりました。

本日はひとつお知らせがあります。
このたび、プライムビジネスコンサルタンシー株式会社(Prime Business Consultancy Pte Ltd)を設立し、これまでのプライムサーチインターナショナルの業務を全て移管いたしました。

プライムサーチインターナショナルではエグゼクティブサーチと一般人材紹介業にほぼ限定していたのですが、新会社ではシンガポールへの進出を考える日本企業のための市場参入コンサルティングに代表される包括的な経営コンサルティングを提供してまいります。

単に法人設立の手続きだけではなく、「そもそも当社はシンガポールへ進出するべきか?」「進出する場合、当社の製品・サービスの市場競争力はどの程度なのか?」「必要な提携先や販売代理店は見つかるのか?」というところから、現場の視点でサポートを提供させていただきます。

そしてシンガポールへの進出が本格的に決定した際には、既にある程度の顧客ベースを確立できるようにするというのが狙いです。

勿論、人材紹介もさせていただきます。新会社名で新たに人材紹介業ライセンスも取得し、これまで以上にマネジメントレベルの人材紹介を充実させてまいります。

包括的な進出支援サポートの一環として、組織作り、人材獲得が位置づけられるわけです。

年末からこれまで2つの大きなプロジェクトが走る中、人材紹介のお仕事でもそこそこ忙しくさせていただき、何人かの方々が新たにシンガポールでのキャリアをスタートさせました。その間にホームページの制作やメディアへの広告、重要なビジネスネットワーク先への新会社の紹介訪問などなど・・・本当に冗談でなく年末からの土日で完全休業をしたのは2日だけなんですよ。クリスマス、元旦、旧正月の2日間も終日仕事でした(ご一緒に働いたクライアント各氏もタフでしたね!)。

というわけで、ようやく正式なご挨拶ができる運びとなりました。
シンガポールの日本語紙・アジアエックスに明日から広告が掲載されます。
広告案を自ら作って下さった内藤社長には本当に感謝いたします。

プライムサーチインターナショナルは2006年末に法人登記いたしましたが、当時、私が前職で東京オフィスに出向直後であったため、日本から登記手続きをしました。2007年はコンサル資格の取得や日本・シンガポール間を行き来するプロジェクトに従事していたこともあり、実際に日本の生活をたたんでシンガポールに戻ってきたのは2008年正月のことです。

そこから2年半弱。
かつてのクライアントも帰国されたりと、人脈の乏しい中でのスタートでしたが、本当に多くの方々に出会い、ひとつひとつのご縁に助けられながらささやかではありますが、こうして事業の幅を広げることができましたことに心から御礼申し上げます。一番うれしかったのはお客様がお客様を紹介して下さったり、当社から転職した方の組織に人材をご紹介させていただいたりしたことですね。

この間、リーマンショックによる経済危機も経験しましたし、決して順風満帆な時期ばかりではない2年半でした。

それでも、仕事の中では厳しく時には思いやり深い言葉で私を支え続けて下さったクライアント各社の皆様、当社を通じて新たなキャリアを得て同時にその姿で私が逆に励まされた求職者の方々、酔者の会や経営塾の仲間の皆様、シンガポールに渡ってから早10年以上も親しくお付き合いしているアラフォー女性の皆様(碇さん、ぽめちゃん、たにまゆ、高木さん、福田さん!今度またご飯行こうね!)、無理難題をいつも快く聞いて素敵なホームページを作ってくれたMiwaさん、シンガポール日本語教会の皆様、日本においては横浜のバフバフさん、東京の自称小商人さん、ハゲタカのカズさん、四谷の美樹女史、銀座の細田さん、ヒルズのサトちゃん、そして、1996年のある夏「シンガポールに行ってくるよ、仕事決まったから」という(相談ではなく)報告を受けて面食らいながらも信じて背中を押してくれた大切な日本の両親に心からの感謝を申し上げます。

そして起業する決心をしてシンガポールに戻る直前の2007年11月の末、送別会のために新橋の居酒屋に集まってくれた大学のESSの同期と後輩17名。卒業以来の顔もあった中、夜明けまでデニーズで語り明かした懐かしく大切な仲間たちにも感謝!この2年半、辛い時には皆の顔が浮かんだものでした。起業は本人の気持ちだけではできない。環境と条件もそろわないと踏み出せない。そして起業後、事業を継続することこそ自分一人ではできないこと。多くの人の支えがあって今日があることを心から感謝しています。

最後に、私の大切な家族である愛犬ロンちゃんにもTHANKS !
仕事で忙しい日はお留守番が長かったり、早朝出社のために6時前に起こして散歩に行ったりする中、いつもおりこうにしていてくれてありがとう。キミのぬくもりがいつも元気の素だったよ!

では、皆様、今後ともプライムビジネスコンサルタンシーと川村千秋を何卒よろしくお願い申し上げます。

Prime Business Consultancy Pte Ltd
www.prime-business.biz








アナタには報告しない・・・?

「こっちのヤツってホント、ほう・れん・そうができないんですよね」

ある日系企業のオフィスにて。
目の前には昨年初めて海外勤務になった日本人の男性駐在員。

確かにあまり相談しないで自分の考えでどんどん仕事を進めてしまうローカル社員は多い。

「だからダメなんですよね、独力でやっちゃって後から言ってくるからねぇ。
 訊けばいいのにねぇ。で、トラブルがあったら早めに報告するとか・・・」

ふーん、そうかもしれないですねぇ・・・と私はコーヒーをいただきながらじっくり表情を観察。

途中、片言の日本語の秘書が書類を持ってくる。
「ふんふん、そうか、じゃあ●●さんに電話しておいて。あ、オレ、この後外出するからね。直帰するし、直帰、チョッキだよ!」

シンガポーリアンの秘書嬢は真剣な顔で指示を聞いていたが、どこまでわかったものか半信半疑。
「チョキ・・・ですか?」
「そうそう、じゃあまだミーティングしてるから」

追い立てるようにドアを指差した。
秘書嬢はそそくさと退散。

彼はかなりの早口。頭の回転もいいんだろうな、仕事のテンポも速いだろうな。
でも、相手の視線では見られない方かも・・・こういう上司だと苦労するな・・・それにしてもこのコーヒー甘いな・・・そんなことを考えながら話の続きを始める。

採用事業をやっていると日頃シンガポーリアンの求職者と話す機会が多い。
そこでは日系企業に対する彼らの本音が聞ける。
上司にも人事にも、もしかしたら同じ会社の同僚にも話さないかもしれない本音だ。

よく聞かれるのが「日本企業は上司とコミュニケーションが取れない」というもの。英語がそもそも苦手な人が多いし、ということは言葉が通じない相手と仕事をするようなもの。

「英語ができるから海外赴任するわけじゃない。仕事ができるから選ばれたんだ」
「日本は憧れの国だろ?日本企業に入れてお前らラッキーと思えよ」
「日本企業に勤めるならローカル社員こそ少しは日本語を学べ」
「別に好きで選んでシンガポールに来たわけじゃない。本社の決定だ」

駐在員の貴方、これを読んで「そっ、そっ、そーなんだよ!」などと頷いてはいらっしゃらないでしょうね?
それって結構・・・カッコ悪い姿です。
そしてそれが態度に出るようになったら貴方の会社は既にアブナイかも。
貴方の会社の社員は人材紹介会社に来て「言葉のよく通じない上司相手に仕事をしてコミュニケーションミスで誤解されて、相当厄介なんです、うちの上司」なんてこぼしているかもしれません。

考えてもみてください。
貴方は中東の某国の日本支社に勤めています。
ある日、某国から駐在員がやってまいりました。

「俺はアメリカが大嫌いだ、よって英語なんか勉強しない。ましては国連公用語にもなっていない極東の島国の言葉なんて知るか(アラビア語は一応公用語ですよね)!」「そもそも俺が東京に来たのは仕事の中身だけを評価されてここにきたんだ。お前ら中東の会社に勤めるならアラビア語を勉強しろ」

会議はアラビア語がわかる人間だけで進める。
日本支社の現地社員は英語もそこそこできるのだが、駐在員がアラビア語しかわからないから結局あとで重要事項はアラビア語会議で決めてしまう。
その議事録はあのミミズが這ったようなアラビア語でしたため、本社へ送信。
本社からのメールも大半がアラビア語だ。

アラビア語中心で進める会議に出たって貴方の耳には情報は入らない。
情報共有が不足しているから、たまに勘違いからくるトンチンカンな発言をしてアラビア人マネジャーたちの冷たい視線にさらされる。
「コイツは仕事出来ないな・・・」
きっとそう思われているだろう。でも、誤解を解くほどこっちはアラビア語ができないし。
えーい、メンドクサイ。放っておくしかない。
最近、社内会議での貴方の存在は空気より軽くなってきた。
一応、貴方は現地社員では一番上。それだけにツライ。

おっと、今度は本社から技術者が大量に派遣されてきた。
製品仕様書も取扱説明書も全てアラビア語だ。
出たばかりの最新機器だから日本語訳が間に合わなかったそうだ。
でも、同じ理由を3年前にも聞いたような・・・
その時の最新機器の取説はいまだにアラビア語バージョンのままだ。
結局、自分が日本語で取説を作った。
で、他の仕事が遅れて日本語とアラビア語のチャンポンで叱られたような・・・

製品のボタンにに貼られているステッカーも全てアラビア語だ。
アラビア語がわからなければ、「うーん、この機能を使うには右から、えっと・・・イチ、ニ、サン、そうか三番目のボタンを押すんだな」と貴方は記憶する。
一事が万事そんな調子だから記憶違いからくる誤操作はよくある。

本社の技術者に訊ねたらアラビア語で言葉を区切るようにしてゆっくり話してくれたが・・・
しかし、アラビア語はアラビア語だ。わかるわけがない。
戸惑ったような微笑みを浮かべて立ちすくんでいると、彼はさっさと手元を動かして仕事を進めてしまう。

貴方は自分に言い聞かせる。
「仕方がない、後でまた試行錯誤してみよう」

「ああ、今日も疲れた。アラビア語学校でも行くかな・・・でもアラビア語なんてこの先ほかでは使うことないだろうし」
オフィスを出ると上司達はアラビア語で楽しそうに喋りながら社用車に乗り込んでいった。
今日もまた中東の水タバコが楽しめるクラブ・シェラザードに行くのかな。
「極東の島国って馬鹿にするけど、その島国で商売させてもらってるだろうが。で、その島国内にもお客さんがいるだろうが。俺たちいなけりゃ、そうしたお客さんとも話できないじゃないか」

ま、いいか。中東なんて観光で行くのはいいけど、俺だってアラビア語しか通じない国なんてゴメンだからな。
その程度のものなんだ、関心なんて・・・
入社した時はこうじゃなかったけどな。憧れてたな、あの国にあの頃は。
現実の生活では言葉がまともに通じない上司の下で働いてコミュニケーションミスで責められるのはいつもこっちだからな。

これは誇張ではなく日常的によくある話。
アラビアを日本に自動変換して読んでください。

「報告しない、相談しない・・・」とローカル社員を責める前に、
「オレには報告しない、オレには相談しない・・・なぜだろう?」と考えてみてはいかがでしょう。

外国語で外国人のマネジメントをしなければならない。
その御苦労はとてもよくわかります。
でも、ここはシンガポール。
シンガポールの論理でものごとは動いてしまうのです。

流暢でなくても話そうとする努力をしている。
その熱意が伝われば現地社員は応えてくれるでしょう。
温度差が開いてしまうのは、英語が上手くないという事実ではなく、それに開き直りをしている事実なのです。英語下手を言い訳に相手に伝えよう、理解しようという気持ちを最初から放棄してしまっているからです。

面談時に現地社員が嘆くのはこの点。
彼らは日本人の英語下手を非難してはいません。
ある意味、シンガポールのような多言語国家はむしろ少数なのですから。

ま、米国人。この方々も世界どこへ行っても英語で押し通すというヘンな押しの強さが目立ちます。でも、そこは言語としての汎用性を考えれば日本語は圧倒的にマイノリティなのですから・・・

社長室を出た時、秘書嬢は日本語の辞書と格闘していました。
入ってきた電話に応対しながら社長は「見送れなくてスマン!」と言いたげに片手を上げて頭を下げています。
相手に気を遣う方なんだな、本当はいいヒトかも・・・

「あのね・・・チョッキって“直接(家に)帰る”っていう意味。辞書にはないかもね」
そう秘書嬢に伝えてオフィスを出ました。


花金はすでに過去のもの?

1月は22日から30日まで日本へ出張していました。

着いた夜は仕事絡みではない友人2人とのディナー。
私の大好きな隠れ家系(?)のフレンチに行きました。

極寒の上野公園をとぼとぼ歩いてたどり着いた上野桜木にある一軒家レストラン。かつては金曜の夜なんて前週からじゃないと予約はできない店だったのですが、なんと同じ金曜なのにお客さんは私たちともう1組だけ。

メニューも心なしかお値段安め。
ワインはボトルでしか頼めなかったのに、お手頃ハウスワインをグラスでいただけるようになっていました。

で、お次は知人の経営している銀座の飲み屋へ。
ちなみにおねえさんは居ないフツーの店です。
昔のおねえさん(知人)は居るけど・・・

どこのタクシースタンドにも30台ぐらいタクシーが並んでいます。

上野も銀座も、何よりも人が歩いていない!
知人の店は7丁目にあるので付近は高級クラブが乱立しているのですが、かつてはこの時間帯はそろそろ帰るお客さんを見送るホステスさんたちで賑わっていて、ちょっと別世界だったのですが、その数すらも激減。

ホステスさんが減ったのではなく、お客さんが減った結果でしょう。だから帰る客もぽつりぽつり・・・

「今は終電に間に合うように帰るのよ」
と知人。だからタクシーは深夜でも簡単に拾えるのだそうです。

雑誌には「今夜もおうちごはん」「彼を呼んで手作りディナー」その他、いかに家計を切り詰めるかのノウハウが満載。ファッション誌でも基本は「安カワ(安くて可愛い)」系ファッションの特集で、3千円のトップスとか5千円以下のワンピースとかの特集。

高級ファッション誌でも「安いけど高そうに見える服」だの・・・え〜い、往生際の悪い編集め!と思わず思ってしまいましたが、まあこれも読者層と経済環境を考慮しての苦肉の企画でしょう。

そして・・・遅ればせながら30代に入ってからようやく運転免許を取った我が弟。

「で、車なににするの〜?」
「いや、買わない」
「だって免許取ったでしょ」
「あれは写真付きの身分証代わり」
絶句・・・・・・・・・・・・・

身分証として使うために何十万も自動車教習所に払うことに経済合理性があるかどうか私には全く理解できないのですが、必要な時にはレンタカーがあるから良い、のだそうです。

う〜ん、消費性向は私が日本に居た時代と全く異なっています。

まあ、バブルで浮かれていた我々の世代と異なり、個々の価値観のもとで選択して節約しているならいいのですが。

何でもかんでも他人と競って上を目指していた競争世代と違うんですね。私が新卒で就職した頃なんて、大学の同期(女子3%の大学なのでほぼ全員が男子)なんて初年度夏のボーナス頭金にして皆、車買ってました・・・(泡・泡・泡)

質実剛健になったのならそれはそれで社会の成長なんでしょうが、それ以上に本当に景気が悪い、先行き暗い、デフレの嵐、昇給なしでボーナス減額、だからモノが買えない・・・のが現状のようでした。

三次会はお決まりの昭和通り沿いのデニーズ。
ここも大半の食事メニューが800円台。
企業努力してるな〜、とちょっと感心。

今回の滞在の極めつけは、TOSHIBAの1GBのノートブックPCが43,000円で買えてしまったこと。加えてポイントカードには7000円分のポイントがついて、しっかり免税手続きも取ったから、ここでも2000円少々バックされました。

ということは差し引き3万代で買えてしまったということ。

う〜ん、情勢の変化に文句を言わずにただひたすら企業努力で自らを合わせていく日本人の頑張りと従順さには頭が下がるけど。

これで本当にいいんだろうか・・・

かなり複雑な思いを重ねた滞在でした。

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